−宿場町と城下町を結ぶ路−


 近世の幹線道である上街道は、古代から続く上ッ道(かみつみち〉がやや西に位置を変えて利用された道でした。この道は、北は奈良坂から南は桜井、山田道を経て藤原京に至る幹線道路のひとつでしたが、やがて初瀬詣でや伊勢参りの人が行き交う信仰の道となります。その面影は今でも街道筋のあちこちで見ることができます。
 能「井筒」の舞台になった在原寺跡、松尾芭蕉が句を詠んだ藤の棚、「ヤマト」の語源にもなった大和神社など、見どころもいっぱいのコースです。





おおよその距離と所要時間

    JR櫟本駅〜JR柳本駅 →10.7q(2時間55分)



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◆イラストマップ
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 ⇒PDF版(印刷用)    ⇒縮尺を揃えたマップ


ハイキングマップは、JR天理駅横の天理市観光物産センター(2017年3月末まで休館)・トレイルセンター(2017年3月末まで休館)・石上神宮休憩所・市役所内の産業振興課で入手することができます。ただし、コースによっては置いていない場所もありますのでご注意下さい。

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 ミニガイド

【楢神社】
トイレ有
 祭神の五十狭芹彦(いさせりひこ)命は鬼子母神を本地とすることから、子供の守護神として、また子授けの神として崇敬されています。境内には八代目市川団十郎が奉納した実増井(三枡井・みますい)の井筒があり、この井戸水は子供を授かる霊水といわれています。
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【和爾下神社】

 「延喜式」にもみえる古い神社で、もとは「ワニ」(和爾)氏の氏神でした。ワニ氏は櫟本一帯を本拠地としていた古代豪族で、応神天皇以後7代の天皇に后妃をいれ、葛城氏と並ぶ勢力を誇っていました。その後も一族からは、小野妹子、柿本人麻呂などの学者や文人を輩出しています。
 社殿は和爾下神社古墳と呼ばれる前方後円墳の後円部上に建っています。その本殿は桃山時代の様式をそなえ、重要文化財となっています。
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【柿本寺跡と歌塚】

 当地、天理市櫟本(いちのもと)町は、柿本人麻呂の生地であると伝えられ、和爾下神社の西に歌聖ゆかりの歌塚が建てられています。任地の石見国で死んだ人麻呂の遺髪を、後の妻である依羅娘女(よさみのおとめ)が持ち帰って葬ったものと伝えられています。人麻呂への崇敬が盛んになるにつれて、歌塚として有名になりました。
 現在の碑は享保17(1732)年に建てられたもので、表面の文字は後西天皇の皇女宝鏡尼の筆によるものです。
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 また、このあたりは柿本氏の氏寺である柿本寺(しほんじ)の跡にあたります。
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【在原神社(在原寺跡)】

 もともと、在原寺と業平神社がありましたが、廃仏毀釈によって在原寺が廃され、在原神社として現在に至っています。この神社では在原業平とその父阿保親王(あぼしんのう・平城天皇の皇子)が祀られています。この地は業平が紀有常の娘と居を構えた地と伝えられ、境内に残る筒井筒がわずかにその跡をとどめています。
 また、ここから西へ、業平が河内の高安まで通ったという「業平道」の一部が今も残っています。
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【市座神社】

 上街道沿いにあり、参道の入口左側には丹波から遷されたという恵美須神社、また本殿の右側には妙見社が祀られています。今も丹波市(たんばいち)の名にふさわしく市場の守護神として尊崇され、毎年1月7・8日には商売繁盛を祈願する「八日恵美須祭」で賑わいます。
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【藤の棚】

「草臥て宿かる比や 藤の花」芭蕉
 上街道沿いの福知堂町にある小さな藤棚の下に、芭蕉の句碑が建っています。貞享5(1687)年、弟子とともに故郷の伊賀を発ち、吉野・高野・紀伊を回って大和を訪れた芭蕉が、この地で藤の花を見て詠んだ句と伝えられています。
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【専行院】

 黒塚古墳の南に位置します。
 柳本は、慶長5(1600)年、織田信長の弟で茶人としても知られた織田有楽斎(うらくさい)の知行地となり、さらに元和元年(1615)有楽斎の五男尚長(ひさなが)が入府して、柳本織田藩が開かれました。
 柳本織田氏の菩提寺である専行院には、有楽斎・尚長をはじめ歴代藩主の墓が残っています。
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【大和神社】
駐車場・トイレ有
 上街道から西に参道を抜けると、鬱蒼とした森の中にどっしりとした社殿が東面して建っています。大和一国の地主神である日本大国魂(やまとおおくにたま)大神と、八千文(やちほこ)大神、御神(みとし)大神を祀る神社です。
 戦艦「大和」の守護神として、大和神社の分霊が祀られたことは有名ですが、国家の統一を行なった「ヤマト」王権の初期に、宮殿内で祀られていた由緒ある神社です。
 毎年、4月1日に行われるちゃんちゃん祭は、大和に春を告げる祭として賑わいます。
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 発見コラム  「井筒物語」

 伊勢(いせ)物語に題材をとった世阿弥(ぜあみ)の夢幻能の傑作「井筒(いづつ)」。その舞台となったのがここ在原寺(現在原神社)です。
 平安時代の歌人であり美男子として知られた在原業平(ありわらのなりひら)が、紀有常(きのはりつね)の娘と居を構えたところと伝えられ、芭蕉(ばしょう)も、旅の途中この地に立ち寄っています。

 「筒井筒(つついづつ) 井筒(いづつ)にかけしまうが丈(たけ)すぎにけらしな妹(いも)見ざるまに」

 −幼なじみのふたりが背丈をくらべた井筒も、年を経て昔の物語となった。
 魂だけになった今も、女は業平を慕い、男の直衣(のうし)をまとって謡(うた)い舞う。水鏡(みずかがみ)に映る姿に、懐かしい男の面影を追い求めて−。

 寺は廃されてささやかな神社となり、世阿弥がえがいた永遠に変わらぬ愛の物語の舞台をしのぶよすがも今はありません。
 境内にわずかに残る井筒と夫婦竹(みょうとだけ)にその名残を見ることができます。

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