「歌碑のマップ」へ     「歌碑の詳細」2へ





1.影媛あわれの石碑








石の上布留を過ぎて 薦枕高橋過ぎ
 物多に大宅過ぎ 春日春日を過ぎ
  妻隠る小佐保を過ぎ
   玉笥には飯さえ盛り
   玉 に水さえ盛り
  鳴き沾ち行くも
      影媛哀れ

【場所】 櫟本町、和爾下神社の参道脇
【作者】 不詳
【出典】 『日本書紀』武烈天皇即位前紀
【碑文の詠み】

石(いそ)の上(かみ) 布留(ふる)を過(す)ぎて 薦枕(こもまくら) 高橋(たかはし)過(す)ぎ
物多(ものさわ)に 大宅(おおやけ)過(す)ぎ 春日(はるひ) 春日(かすが)を過(す)ぎ
妻隠(つまこも)る小佐保(おさほ)を過(す)ぎ
玉笥(たまけ)には 飯(いい)さえ盛(も)り
玉?(たまもひ)に 水(みず)さえ盛(も)り
鳴(な)き沾(そぼ)ち行(ゆ)くも 影媛(かげひめ)あわれ


【碑文の意味】

「影媛あわれ」

 影媛は、以前から交際していた平群(へぐり)の鮪(しび)が、太子(後の武烈天皇)の命で大伴金村(おおとものかなむら)の軍に乃楽(なら)山で殺されたのを悲しみ、布留から乃楽山まで行って、夫の葬いをした。
 ここ櫟本は、山の辺の道と都祁(つげ)山道との衝(ちまた)に当たり、当時の政治・経済・軍事・文化の要衝(ようしょう)であった。
 媛はその山の辺の道を、泣きそぼちつつ行ったのであろう。都祁山道を挟んで、南には物部氏、北には和珥(わに)氏がおり、この辺りが勢力の接点であった。武烈天皇の母、春日大娘皇后(かすがのおおいらつめのきさき)は、雄略天皇が和珥臣深目(わにのおみふかめ)の女(むすめ)童女君(おみなぎみ)に生ませた女である。影媛は物部の麁鹿火大連(あらかいおおむらじ)の女である。
                                -石碑横の説明版より-




2.歌塚の歌碑






 

みのむしの子ハ
 こゝと 鳴く
    歌聖の碑


【場所】 櫟本町、歌塚
【作者】 大国蕭風
【出典】 不明




3.和爾下神社参道沿いの歌碑








起き上がり松や
   神路の
    風かおる
      薫水


【場所】 櫟本町、和爾下神社の参道沿い
【作者】 岡村薫水
【出典】 不明




4.和爾下神社鳥居横の歌碑



 長忌寸意吉麿が歌八首[ノ中]
さす鍋に 湯沸かせ子ども
 櫟津の 檜橋より来む 狐に浴むさむ

  右の一首
  傳えて云はく
  「一時に衆會りて宴飲す
  ここに夜漏三更にして
  狐の聲聞こゆ
  すなわち衆諸 奧麿に誘めて曰はく
  『この饌具 雜器 狐聲 河橋など
  の物に関けてただに哥を作れ』
  といへれば
  即ち聲に應えて歌を作る」といふ


【場所】 櫟本町、国道24号線沿いに建つ和爾下神社鳥居の北側
【作者】 長忌寸意吉麿
【出典】 『『万葉集』』巻十六・三八二四番
【碑文の詠み】

 長忌寸意吉麿歌八首
 
 刺名倍尓(さすなべに)  湯和可世子等(ゆわかせこども)
 櫟津乃(いちひつの) 檜橋従來許武(ひばしよりこむ)
 狐尓安牟左武(きつねにあむさむ)

 右一首 傳云 一時衆會宴飲也 於是夜漏三
 更 所聞狐聲 尓乃衆諸誘奥麿日 関此饌具
 雜器狐聲河橋等物但作哥者 即應聲作此歌也

 ----------

 長忌寸意吉麿(ながのいみきおきまろ)が歌(うた)八首[ノ中]

 さす鍋(なべ)に 湯沸(ゆわ)かせ子(こ)ども
 櫟津(いちひつ)の 檜橋(ひばし)より来(こ)む
 狐(きつね)に浴(あ)むさむ 

 右(みぎ)の一首、傳(つたい)えて云はく、「一時(あるとき)に衆會(もろもろあつま)りて宴飲(えんいん)す。ここに夜漏三更(やろうさんかう)にして、狐(きつね)の聲聞(こゑき)こゆ。すなはち衆諸(もろひと)、奥麿( おきまろ)に誘(すす)めて曰(いは)く、『この饌具(せんぐ)、雜器(ざふき)、狐聲(こせい)、河橋等(かけう)の物(もの)に関(か)けてただ哥(うた)を作(つく)れ』といへば、即(すなは)ち聲(こゑ)に應(こた)へて歌を作る」といふ。

【碑文の意味】

長忌寸意吉麿の歌八首[ノ中]
 そそぎ口のある鍋でお湯を沸かせよ、ご一同。
 櫟津の檜で作った橋を渡り、コムと鳴いてやって来る狐に浴びせてやろう。

 右の一首は、言い伝えによると、「ある時、大勢で會って宴会をした。そのとき、時刻も真夜中頃、狐の鳴き声が聞こえてきた。そこで、一同が意吉麿をそそのかして、『ここにある饌具・雜器・狐聲・河橋などの物を関連させて歌を作られよ』と言ったところ、即座にその注文に応じてこの歌を作った」ということである。




5.在原神社の句碑








うくひすを
 魂に眠るか
   矯柳
    はせを


【場所】 櫟本町、在原神社境内
【作者】 松尾芭蕉
【出典】 『虚栗』(泊般集)
【碑文の詠み】

 うくひすを 魂(たま)に眠るか 矯柳(たおやなぎ)  はせを 

【碑文の意味】

 柳が静かにしだれて眠っているようだ。折柄、鶯が鳴いているが、眠る柳の魂が抜け出て鶯となって鳴いているのか。つまり、柳は自分の魂を鶯にして眠っているのか。

※ 昭和12年櫟本町会建立




6.中ッ道沿いの歌碑








 稻に寄する

石上 布留の早稲田を
秀でずとも 縄だに延べよ
守りもつつ居らむ


【場所】 前栽町、前栽公民館前
【作者】 不詳
【出典】 『『万葉集』』巻七・一三五三番
【碑文の詠み】

 寄稲

  石上(いそのかみ) 振之早田乎(ふるのわさだを)
  雖不秀(ひでずとも)  縄谷延与(なはだにはへよ) 守乍将居(もりつつをらむ)

 ----------

 稲(いね)に寄(よ)する

  石上 布留(ふる)の早稲田(わさだ)を
  秀(ひ)でずとも 縄だに延(は)へよ   守(も)りつつ居(を)らむ


【碑文の意味】

 石上の布留にある早稲の田を、
 まだ稲穂が出揃っていなくても、せめて標縄だけでも張りめぐらしてください。
 そうしたら私が見守っていましょう。
上へ移動




7.天理駅前広場の歌碑








石上 布留の高橋
高ゝに 妹が待つらむ
夜そ更けにける


【場所】 川原城町、駅前広場
【作者】 不詳
【出典】 『万葉集』巻十二・二九九七番
【碑文の詠み】

 石上(いそかみ) 振乃高橋(ふるのたかはし)
 高々尓(たかだかに) 妹之将待(いもがまつらむ) 夜曽深去家留(よそふけにける)

 ----------

 石上(いそかみ) 布留(ふる)の高橋(たかはし)
 高々(たかだか)に  妹(いも)が待(ま)つらむ  夜(よ)そ更(ふ)けにける

【碑文の意味】

 石上の布留川にかかる布留の高橋 その高橋のように 高々と爪立つ思いであの女が待っているだろうに 夜はもうすっかり更けてしまった

 この歌は、二九六四番歌から三一〇〇番歌まで続く「寄物陳思」歌群の一首。「石上 布留の高橋」は、市内の石上神宮付近を流れる布留川にかかる高橋で、男の訪れを待ち焦がれてる女の思いを、この高橋にかけて、「高々に」を引き起こして歌っている。女の許へ通う夜に歌った男の歌である。




8.天理市役所西側の歌碑








吾妹児や 我を忘らすな
 石上 袖布留川の 
   絶えむと思へや


【場所】 守目堂町、市庁舎布留川沿い
【作者】 不詳
【出典】 『万葉集』巻十二・三〇一三番
【碑文の詠み】

 吾妹児哉(わぎもこや) 安乎忘為莫(あをわすらすな)
 石上(いそのかみ) 袖振川之(そでふるかわの) 将絶跡念倍也(たえむとおもえや)

 ----------

 吾妹児や 我(あ)を忘らすな
 石上 袖布留(ふる)川の 絶(た)えむと思へや

【碑文の意味】

 いとしいひとよ、わたしをお忘れにならないで。石上の、袖を振るという布留、その布留の川が絶えないようにあなたへの気持ちは絶えません。




9.厳島神社境内の歌碑








小町
 いそのかみ旅寝をすればいと寒し
 苔の衣をわれにかさなむ

かえし 遍昭
 世をそむく苔の衣は
 ただ一重
 かさねばうとしいざ二人ねむ


【場所】 布留町、厳島神社境内
【作者】 小野小町、僧正遍昭
【出典】 『後選和歌集』卷一七
【碑文の詠み】

   小町
    いそのかみ旅寝をすればいと寒し
    苔の衣をわれにかさなむ

   かえし  遍昭
    世をそむく苔の衣は
    ただ一重
    かさねばうとしいざ二人ねむ

【碑文の意味】

「厳島神社前の説明板より」

いそのかみ寺と良因寺
 この村、布留町には室町時代に二つの有名な寺があった。一つは、いそのかみ寺(小野小町が訪れた寺)と僧・遍昭がいた良因寺の二寺である。良因寺は、この厳島神社付近一帯がその境内地で寺領も一町二反六十歩(約四千坪)あり、今でも西塔、堂の前、堂の垣内、堂の後という小字名が残っている。いそのかみ寺は、石上神宮の境内地のどこかに祭られていたと思われますが、寺跡も記録もないので説としてとどめおく次第です。
 小野小町は淳和、仁明天皇に仕え、絶世の美女で歌才も豊かで、六歌仙の中でただ一人の歌人であった。
 遍昭は、桓武天皇の孫に当たり、時の帝に仕え要職にあったが、後、出家して俗名宗貞を遍昭と名乗り、良因寺の僧となってこの地で住居していた。
 小町も三十才の時、宮仕えを止め、都から遙々この地に旅を楽しみ、日没になったので遍昭この地に住居すると聞き、一夜の宿を乞い、歌を詠みました。
 これに、遍昭が答えたのが、上の歌です。【一部訂正】

※「天理市史」には、「良因寺」と「石上寺」は同じ寺で、厳島神社の北東近辺に所在していたことが発掘調査の結果、明らかにされたとあります。




10.恵比寿神社内の文学碑








いその神
ふるき宮この
郭公
こゑばかりこそ
むかしなりけれ


【場所】 布留町、恵比寿神社境内
【作者】 素性
【出典】 『古今和歌集』巻第三、夏歌
【碑文の詠み】

   いその神 ふるき宮この 郭公(ほととぎす)
   こゑばかりこそ むかしなりけれ

【碑文の意味】

 この石の上(安康・仁賢二帝の都があった)は、古いみやこがあった所です。(しかし、今はすっかり変わってしまって何もない)。ただ、ほととぎすの声だけが昔のままですよ。




11.石上神宮鳥居横の歌碑







柿本朝臣人麿歌

未通女等が 袖布留山の
瑞垣の
久しき時ゆ 思ひき吾は


【場所】 布留町、石上神宮境内
【作者】 柿本人麻呂
【出典】 『万葉集』巻四、五〇一番
【碑文の詠み】

 未通女等(おとめら)が 袖布留山(そでふるやま)の 瑞垣(みづがき)の
 久(ひさ)しき時(とき)ゆ思(おも)ひき吾(われ)は

【碑文の意味】

 少女が袖振るという布留の山野、神垣がずいぶん年を経ているように、あなたを長い間、恋慕っておりましたよ、わたしは。




12.石上神宮外苑公園の歌碑






石上 布留の神杉
神びにし 我やさらさら
恋にあひにける


【場所】 布留町、石上神宮外苑公園
【作者】 不詳
【出典】 『万葉集』巻十・一九二七番
【碑文の詠み】

 石上(いそのかみ) 振之神杦(ふるのかむすぎ)
 神備西(かむびにし) 吾八更々(あれやさらさら)
 戀尓相尓家留(こひにあひにける)

 ----------

 石上 布留(ふ る)の神杉(かむすぎ)
 神(かむ)びにし 我(あれ)やさらさら 恋(こひ)にあひにける

【碑文の意味】

 石上の布留の社の年ふりて神々しい神杉のように年老いた私が、今さら思いもかけず恋にとりつかれてしまったよ。



上へ移動
「歌碑のマップ」へ                         「歌碑の詳細」2へ