北部エリア
在原神社(在原寺跡)
(ありはらじんじゃ・ありはらでらあと)

― 在原業平と父を祀る神社 ―



上街道沿いの入口(西から)



拝殿



「筒井筒」と伝わる井戸(伊勢物語に登場する)

 名阪国道南側の側道沿いに位置します。JR櫟本駅から東へ進み、点滅信号のある交差点を南へ曲がります。名阪国道の高架をくぐり、50m進んで東へ折れると在原神社に至ります。
 入口の脇には「在原寺」と刻まれた標石(裏面には在原神社の文字)が据えられています。

 神社の北側は名阪国道の側道、西側と南側は住宅地となっています。
 境内にはゲートボールの練習場があり、注意しないと通り過ぎてしまいそうなくらい、ひっそりとしています。
 標石が示すとおり、元々は在原寺と業平神社がありましたが、明治時代の廃仏毀釈で在原寺が廃され、業平神社は在原神社になりました。

  在原神社−在原業平と父を祀る神社−
 「伊勢物語」の作者とも、モデルとも伝えられる在原業平とその父・阿保親王(あぼしんのう・平城天皇の皇子)が祀られています。
 中将・在原業平は有名な歌人の一人で、絶世の美男子だったと伝えられ、紀有常の娘とこの地に居を構えていました。

  在原寺跡−在原氏の氏寺−
 和州在原寺の縁起によると、東の平尾山には光明皇后が開かれた補陀落山観音院本光明寺(現在の姫丸神社近辺)があり(本尊・聖武天皇御縁仏の十一面観音)、阿保親王(第51代平城天皇の子)はこの観音を信心したおかげで在原業平が生れたと信じ、承和2(835)年、光明寺をこの地に移して、本光明山補陀落院在原寺と称したそうです。
 その後に書かれた「寛文寺社記」には、元慶4(880)年5月28日に業平が病没したので、邸を寺にしたとあります。
 天文23(1554)年の『吉野詣記』や、延宝9(1681)年の『和州旧跡幽考』には、寺領はわずかに五石だが、本堂、庫裡、楼門などがあり、近在は在原千軒と呼ばれるほど人家が建ち並んでいた、と記されています。
 その後、在原寺は廃寺となり、本堂は明治初年に大和郡山市若槻の西融寺に移されました。

 境内では今も、業平の作と伝わる伊勢物語に歌われた「筒井筒ゐづつにかけしまろがたけ過ぎにけらしな妹見ざるまに」の歌や、伊勢物語をヒントに作られた謡曲の「井筒」にちなんだ「筒井筒」、「一むらの薄(すすき)」の石標、松尾芭蕉の句碑などを見ることができます。
 また、業平が河内の高安まで通ったという「業平道」の一部が、今も神社の西の方に残っています。


 ハイキングエリア :
     「はにわの里コース」「上街道コース」
 所在地 : 櫟本町市場垣内字在原
 駐車場 : 無し
 休憩所 : 無し
 トイレ : 有り