北部エリア
柿本寺跡
(しほんじあと)

― 「柿本氏の氏寺」 ―



和爾下神社の参道を北へ進みます



柿本寺跡の看板が目印



奧には大きな石材(石棺の蓋)が一つ

 JR櫟本駅から東へ向かい、上街道との交差点(点滅信号のある交差点)を右(南側)へ進むと、東西に流れる高瀬川に至ります。ここで川に沿って左(東側)へ曲がると、国道169号線沿いに建つ和爾下神社の鳥居が見えます。鳥居をくぐり参道を進むと、約250mで左(北側)へ折れます。しばらく進むと柿本寺跡に至ります。

 柿本寺は奈良時代の創建と伝えられ、寺跡とされる近辺からは奈良時代の丸瓦や平瓦が、多数見つかっています。
 すぐ南側には、日本書紀に記された影姫の歌を刻んだ石碑や柿本氏の出である歌聖・柿本人麿の遺髪を葬った「歌塚」があります。

 柿本寺(しほんじ)は、名前の通り、柿本氏の氏寺です。
 建武4(1337)年、北朝軍が天王社(和爾下神社)や柿本寺に陣取って南朝軍と戦ったとの記録や、その前後に描かれた柿本宮曼茶羅(まんだら・現在は奈良市学園前町の大和文華館が所蔵。重要文化財)が伝わっています。
 寺は室町時代までに西へ約400m離れた、現在の櫟本小学校西側に移転しています。江戸時代までは代々、学僧が出、和歌や茶の湯などが親しまれましたが、明治初年に廃寺となりました。

 現在は鬱蒼とした森の中にぽつんと空間が広がっているだけで、寺の跡を示すものは何もありませんが、奈良時代の瓦が近辺から出ており、古い寺院があったことは間違いありません。
 また、文献には近くに柿本寺があったと書かれていることから、この寺院は柿本寺とされています。
 広場中央に置かれている石棺の床材は大変大きなもので、ほとんど原形を保っています。和爾下神社古墳の石棺材と考えられており、橋に転用された後、ここに運ばれています。


 ハイキングエリア : 「はにわの里コース」
 所在地 : 櫟本町人丸
 駐車場 : 無し
 休憩所 : 有り
 トイレ : 無し