長岳寺のパンフレットより


長岳寺由緒略史

 山の辺の道にのこる長岳寺は天長元(824)年、淳和天皇の勅願により弘法大師が大和神社の神宮寺として創建された古刹であり、盛時には塔中四十八ヶ坊、衆徒三百余名をかぞえた。以来、幾多の栄枯盛衰を重ねながらも、千百十有余年間連綿と法燈を守り続け今日に至っている。
千古の歴史を経て文化財も多く、重要文化財としては仏像五体、建造物四棟がある。
大門をくぐり両側に平戸つつじの生垣が続く玉砂利の参道を行くと我が国最占の美しい鐘楼門につく。一万二千坪の広くて静かな境内には四季おりおりの花の香りが漂い、いにしえの趣と心の安らぎを求め、多くの参拝者があとを断たない花と文化財の寺である。

仏像

阿弥陀三尊(重要文化財) 仁平元(1151)年
 中尊の阿弥陀如来及び、両脇侍の観世音菩薩、勢至菩薩の三尊は当寺の本尊である。
 阿弥陀如米は西方のかなた十万億土に極楽世界をひらき、末法の世に生まれた私達をもお救い下さる仏さまである。また脇侍観世音菩薩は阿弥陀如米の慈悲の分身であり、勢至菩薩は智恵の分身である。
 堂々とした量感、写実的な表現は藤原時代にあって次の鎌倉時代の作風の先駆と云え、慶派に大きな影響を与えた。玉眼を使用した仏像としては日本最古である。

多聞天・増長天(重要文化財) 藤原時代
 多聞天・増長天は共に元々、インドでは仏教以外の外道の神々であったが、仏教に帰依し仏教を守る守護神としての役割りをはたしておられる。八百年を経た現在も色彩がよく残っている。

弥勒大石棺佛 鎌倉時代
 弥靭菩薩は今、都卒天で成道をめざして修業されており、五十六億七千万年後に如來となられ私達の世界に下生される。そして輪廻転生する私達の魂を救済されると云う。当寺の大石棺佛は古墳の石材を利用したもので、法量は二m近く如来形である。
 その他、当寺には鎌倉時代から江戸時代にかけての石仏が数多くある。

その他の主な文化財

大地獄絵 狩野山楽筆 江戸時代初期
 十王図、極楽地獄図とも云い、九幅から構成されており、全法量は縦四m、横十一mに及ぶ。 三途の河、八大地獄、餓鬼・畜生・修羅道、十王裁判図などが画面いっはいに描れ、圧巻である。毎年、秋に仏画展としての他の仏画と共に開帳される。

繍仏阿弥陀来迎図(県指定文化財) 南北朝時代
 刺繍の一尊来迎図で毎年、秋に仏画展として他の仏画と共に開帳される。 

十三重石塔 鎌倉時代
 西大寺中興の興正菩薩叡尊の供養塔と云われその為か叡尊ゆかりの文殊菩薩が刻まれているめずらしい石塔である。

建造物

鐘楼門(重要文化財) 平安時代
 日本最古の鐘楼門であり、弘法大師当寺創建当初の唯一の建物である。上層に鐘を吊った遺構があるので鐘楼門という。

旧地蔵院(重要文化財) 寛永七(1630)年
 当山四十八ヶ坊あった塔中の内、唯一残ったもので今は庫裏として使われている。室町時代の書院造りの様式を残している。また同時代の美しい庭園がある。

旧地蔵院本堂(重要文化財) 寛永ハ(1631)年
 延命殿とも云われ、普賢延命菩薩を本尊とする庫裏の持仏堂である。二間四面の小堂であるが桃山風で美しい。

大師堂(県指定文化財) 正保二年(1645)
 当寺信仰の中心である弘法大師像と藤原時代の不動明王を奉祠する。

本堂 天明三年(1783)再建
 当寺の本尊である阿弥陀三尊や多聞天、増長天等の仏像や寺宝類を安置する。

大門 寛永十七(1640)年再建
当寺の総門である。また肘切り門の異名があり僧兵と刀鍛治の伝説がある。

五智堂(重要文化財) 鎌倉時代
当寺西方約一qの飛び地境内にあり、その形から傘堂あるいは真面堂ともよばれる。真ん中に太い心柱がありこれによって建物のほとんどの重量が支えられている。心柱上部に四仏の梵字額があり全体で五智如来をあらわしている。