石上神宮作成のパンフレットより


 石上神宮は大和盆地の中央東寄り、龍王山(りゅうおうざん)の西麓、布留山(ふるやま・標高266m)北西麓の高台に鎮座し、境内はうっそうとした常緑樹に囲まれ、神さびた自然の姿を今に残しています。北方には龍王山より発した布留川が流れ、周辺は県下有数の古墳密集地帯として知られています。
 当神宮は、日本最古の神社で武門の棟梁たる物部氏の総氏神として古代信仰の中でも特に異彩を放ち、健康長寿・病気平癒・除災招福・百事成就の守護神として信仰されてきました。
 御祭神は、神武天皇御東征の砌、国土平定に偉功をたてられた天剣、平国之剣(くにむけしつるぎ)とその霊威を布都御魂大神(ふつのみたまのおおかみ)、鎮魂(たまふり)の主体である天璽十種瑞宝(あまつしるしとくさのみづのたから)の起死回生の霊力を布留御魂大神(ふるのみたまのおおかみ)、素盞嗚尊(すさのおのみこと)が八岐大蛇(やまたのおろち)を退治された天十握剣(あめのとつかのつるぎ)の威霊を布都斯魂大神(ふつしみたまのおおかみ)と称え、総称して石上大神(いそのかみのおおかみ)と仰ぎ、第10代崇神天皇7年に現地石上布留の高庭(たかにわ)に祀られました。古典には「石上神宮」「石上振神宮」「石上坐布都御魂神社」と記され、この他「石上社」「布留社」等とも呼ばれていました。
 中世に入ると興福寺の荘園拡大、守護権力の強大化により、布留川を挟み南北二郷からなる布留郷を中心とした氏人は、同寺とたびたび抗争しました。
 戦国期に至り、織田尾張勢の乱入により社頭は破却され、壱千石と称した神領も没収され衰微していきました。しかし、氏人たちの力強い信仰に支えられて明治を迎え、神祇の国家管理が行われるにともない、明治4年官幣大社に列し、同16年には神宮号復称が許されました。
 当神宮にはかつて本殿がなく、拝殿後方の禁足地を御本地(ごほんち)と称し、その中央に主祭神が埋斎され諸神は拝殿に配祀されていました。
 明治7年、菅政友(かんまさとも)大宮司により禁足地が発掘され、御神体の出御を仰ぎ、大正2年・御本殿が造営されました。
 禁足地は現在も布留社と刻まれた剣先状石瑞垣で囲まれ、昔の佇まいを残しています。


御祭神
   布都御魂大神・布留御魂大神・布都斯魂大神
   (ふつのみたまのおおかみ・ふるのみたまのおおかみ・ふつしみたまのおおかみ)

配祀 
   五十瓊敷命(いにしきのみこと)
   宇摩志麻治命(うましまじのみこと)
   白河天皇(しらかわてんのう)
   市川臣命(いちかわのおみのみこと)

摂末社
 摂社としては出雲建雄(いづもたけお)神社、鎮魂八神を祀る天神社(てんじんじゃ)-(高皇産霊神・たかみむすびのかみ、神皇産霊神・かむみすびのかみ)・七座社(ななざしゃ)-(生産霊神・いくむすびのかみ、足産霊神・たるむすびのかみ、魂留産霊神・たまつめむすびのかみ、大宮能売神・おおみやのめのかみ、御膳都神・みけつかみ、辞代主神・ことしろぬしのかみ、大直日神・おおなおびのかみ)があります。
 出雲建雄神社は延喜式内社で天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)(草薙剣・くさなぎのつるぎ)の霊威を出雲建雄神と称え祀られています。
 同社拝殿は、内山永久寺(現廃寺)鎮守社の拝殿でしたが、大正3年当地に移築されました。保延3年(1137)の建立といわれ、中央に一間の通路がある割拝殿形式で国宝に指定されています。

 末社としては境内に猿田彦(さるたひこ)神社・神田(こうだ)神社・祓戸(はらえど)神社、境外に恵比須(えびす)神社があります。

宝物
 当神宮には古代各氏族の権威を象徴する神宝を始め、大和朝廷の数多くの神宝類が天神庫-あめのほくら-に保管されていました。それは垂仁天皇第一皇子の五十瓊敷命(いにしきのみこと)が管理するほどの莫大な量でした。下って桓武天皇延暦24(805)年に神宮の器仗を山城国葛野郡に遷すのに15万7千余人の人員を要したと『日本後紀』に記されています。
 しかし、中世以降社頭は衰退の一途を辿り、度々の盗難に会い、戦国時代には尾張勢の乱入により多くの宝物が散逸しました。現在残っているのは少量ですが貴重なものが多く、古代の日朝関係を考察する上で不可欠な七支刀(しちしとう)(国宝)を始め、鉄盾(重文)、足利尊氏奉納と伝えられる色々威腹巻(いろいろおどしはらまき)(重文)、更に明治7年の禁足地発掘により出土した勾玉・管玉・環頭大刀柄頭等(重文)が神庫に収蔵されています。
 尚、毎年大晦日には、神庫の守護神を祀り、その安泰を祈る神庫祭が斎行されます。

山の辺の道
 社に背を向けて左側に向かって進むと、日本最古の道「山の辺の道」へと導かれます。大和盆地の東部、青垣なす山々の裾野を南へ縫いながら遙か西方に大和三山・二上山を眺め、桜井市海石榴市(つばいち)まで5時間前後で散策できるハイキングコースです。また、北方へは奈良市の柳生街道へと通ずる道の起点でもあります。
 『日本書紀』武烈天皇即位前記にある物部影媛が詠んだ悲歌の頃より現代に至るまで、多くの人々が様々な想いを抱きながらこの道を歩いたことでしょう。


     石(いそ)の上(かみ) 布留(ふる)を過(す)ぎて 薦枕(こもまくら)
     高橋(たかはし)過(す)ぎ 物多(ものさは)に

     大宅(おほやけ)過(す)ぎ 春日(はるひ)の 春日(かすが)を過(す)ぎ 
     妻(つま)隠(こも)る 小佐保(をさほ)を過(す)ぎ

     玉笥(たまけ)には 飯(いひ)さへ盛(も)り 玉(たまもひ)に 水(みづ)さへ盛り

     泣(な)き沾(そぼ)ち行(ゆ)くも 影媛(かげひめ)あはれ


主たる年中行事
  1月1日 歳旦祭
  1月15日 古神符焼納祭
  節分前夜 玉の緒祭
  節分当日 節分祭
  2月11日 紀元祭
  2月19日 祈年祭
  4月第一日曜 献燈講講社大祭
  4月15日 春季大祭
  5月3日 長寿講社春季大祭
  6月30日 神剣渡御祭(でんでん祭)
  6月30日 大祓式
  9月第一日曜 崇敬会大祭
  10月1日 榜示浚神事
  10月15日 例祭(ふるまつり)
  11月3日 長寿講社秋季大祭
  11月22日 鎮魂祭
  11月23日 新嘗祭
  12月8日 お火焚祭
  12月23目 天長祭
  12月31日 神庫祭・大祓祭・除夜祭
   
  毎月1日・15日 月次祭