中部エリア

内山永久寺跡
(うちやまえいきゅうじあと)

― 鳥羽天皇の勅願により創建された寺 ―



池のそばに咲く桜



山の辺の道(南)コースと桜



池の南東側に設けられた休憩所



内山永久寺を詠んだ松尾芭蕉の歌碑

 内山永久寺跡は山の辺の道(南)コース沿いにあり、石上神宮から南へ約600mの所に所在しています。

 丘陵と丘陵の谷間に位置し、池の周りは水田やミカン・柿などの果樹園になっています。

 寺は永久2(西暦1114)年、鳥羽天皇の勅願により創建され、時の年号から永久寺と称されました。また、寺域が五鈷杵(ごこしよ)の形をし、内に山が一つあったので内山の名を冠して「内山永久寺」と称したといわれています。総院号は金剛乗院で阿弥陀如来を安置し、真言宗(古義派)に属しました。
 藤原後期以降、多数の堂塔を要して栄えた名刹で、鎌倉時代や室町時代の古文書からその隆盛を伺うことができます。延元元(西暦1336)年には後醍醐天皇が吉野に遷幸する際に、一時立ち寄っています。
 文禄4(西暦1595)年には豊臣秀吉から971石の寺領が与えられ、千石の法隆寺に匹敵する大寺となりました。
 盛時には五町四方の境内地に五十余坊の伽藍を持ち、江戸時代末期までは上街道の浄国寺北側から永久寺西門に至る石畳まで、参詣者が絶えなかったそうです。
 元治元(西暦1864)年、勤王派の絵師、冷泉為恭(れいぜいためちか)も一時、この寺に身を寄せていました。
 明治維新の廃仏毀釈により、貴重な仏像・障壁画・仏画等が散逸し、西の日光といわれた豪華な堂坊も明治7年から9年までの間に礎石から瓦一枚に至るまで取り除かれ、本堂池だけが残りました。
 現在は、山の辺の道に沿うことから、休憩場所として利用されています。

 現在は本堂池が残るだけの寂しいところですが、桜の頃には花びらが池の水面に散り敷き、本堂池の水面に映る姿を一目見ようと、カメラを持った人や花見の人などで賑わいます。


 ハイキングエリア : 「山の辺の道(南)コース」
 所在地 : 杣之内町
 駐車場 : 無し
 休憩所 : 有り
 トイレ : 無し