衾道を

奈良県天理市中山町(山の辺の道沿い)
TEL : 0743-63-1001(内208) 天理市観光協会
〔電車〕
JR万葉まほろば線[JR柳本駅]下車 → 徒歩:東へ約30分
〔バス〕
国道169号線 奈良交通[中山]バス停下車
→ 徒歩:東へ約15分
〔車〕
国道169号線、中山バス停より東へ約5分

駐車場
有り(無料)
※観光バス可
トイレ
有り
拝観料等
無料
拝観時間
特になし
休み
特になし

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龍王山(りゅうおうざん)
龍王山(りゅうおうざん)

衾田陵(ふすまだりょう)
衾田陵(ふすまだりょう)

83年ぶりの鳥居
柿本人麻呂万葉歌碑

『万葉集』-巻2-212 柿本人麻呂

衾道(ふすまぢ)を引手(ひきて)の山に妹を置きて 山路(やまぢ)を行けば生けりともなし

【現代語訳:万】
衾道よ、引手の山中に妹をおいて  山道をたどると、生きた心地もない。

【注】
衾道 → 手白髪皇女(たしらかのひめみこ)衾田(ふすまだ)の墓がある。
引手の山 → 羽易の山に同じ。
妹 → 妻

 人麻呂が妻を亡くし、哀しみ背負い歩いた山が龍王山といわれています。
 この龍王山を背景に、万葉歌人を代表する柿本人麻呂の万葉歌碑が、中山町の山の辺の道沿いにたたずんでいます。歌碑の西側には、山の辺の道を歩いて来られた方が、腰を下ろせる『休憩スポット』があります。
 龍王山、その名が示すように、古くから農耕と結びついた雨乞い信仰の山でもあります。空から降りそそぐ大粒の雨の雫は、人々の祈りかそれとも人麻呂の涙の雫なのでしょうか。
 東の山並みの景色を眺めながら、人麻呂の想いを辿ってみてください。
                              天理市産業振興課 U氏

 

 柿本人麻呂は、万葉歌人を代表する人物で歌聖と呼ばれています。万葉集には長歌18首、短歌66首が載せられています。
 また、柿本人麻呂歌集360余首が万葉集に載せられており、その中にも人麻呂の歌が多く含まれています。
 柿本人麻呂は、和爾(わに)氏の支流・柿本氏の出身で、柿本氏は現在の天理市櫟本(いちのもと)町が本拠地だったと考えられています。生まれ年は不詳ですが没したのは慶雲4(707)年、石見国司で亡くなったとも伝えられています。
 柿本人麻呂は、比類ない万葉歌人、宮廷歌人ですが、とくに、天武天皇、持統天皇時代の王権成長期に天皇を現人神と讃える歌をつくり、天皇主権に大きな役割を果たしました。人麻呂は初めの妻が亡くなった後に、依羅娘女(よさみのおとめ)(めと)りますが、他にも多くの女性がいたことは、詠まれた歌から察せられます。
 石見で没し、現地の妻の石見姫が遺髪を郷土に持ち帰って造ったといわれるお墓が、和爾下神社西側の小さな塚で「歌塚」と呼ばれています。享保17(1732)年、柿本寺の僧や医者の森本宗範がりっぱな「歌塚」碑を塚の上に建てました。碑に「歌塚」と肉太で書かれた字は、後西天皇の皇女宝鏡尼の筆によるものです。
 
 『じゃんじゃん火伝説』
 「じゃんじゃん火」という昔ばなしは、十市城で戦死した兵士のうらみが「人玉」となり夏の夜に現れると伝えられてきたものですが、その起こりは旱魃(かんばつ)の夏、近在の村々の人達が松明を持って「雨たんもれ雨たんもれ」と叫んで龍王山へ登る姿です。雨乞いの松明の火が木葉の間から見えたり、かくれたりするさまが、大和平野から見ると人玉に思われ、このような話が生まれました。

                     山の辺の道のボランティアガイドの会:U氏