飛鳥の

奈良県天理市西井戸堂町339番地(中ツ道沿い)
TEL : 0743-63-1001(内208) 天理市観光協会
〔電車〕
近鉄天理線[前栽駅]下車 →徒歩: 南へ約2㎞、徒歩約45分
〔バス〕
R169号線 奈良交通[勾田]バス停下車
→ 徒歩:西へ約2㎞、徒歩約50分
〔車〕
国道169号線 勾田交差点を西(R25号線)へ約2㎞、県道51号線交差点を南へ約200m
駐車場
なし
トイレ
なし
拝観料等
無料
拝観時間
特になし
休み
特になし

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山辺御県坐神社の社殿
山辺御県坐神社の社殿

飛鳥の万葉歌碑
飛鳥の万葉歌碑

歌碑説明版
歌碑説明板

『万葉集』-巻1-78 元明天皇

飛鳥の明日香の里を置きて去なば 君があたりは見えずかもあらむ

【現代語訳:万】
飛ぶ鳥の明日香の里を後にしていったなら、あなたのいるあたりを目にすることができなくなってしまうだろうか。
〔和銅三年庚戌の春二月、藤原宮より寧楽宮に遷りましし時に、御輿を長屋の原に停めて逈かに古郷を望みて作れる歌〕

【注】
和銅三年庚戌 → 710年
二月 → 正式の遷都は三月十日。先立って天皇一行が遷居したか
長屋の原 → 奈良県天理市西井戸堂町・合場町あたり
         「中つ道」を北上したことになる。
古郷 → 旧都

 長屋原は現在の天理市西井戸堂町付近にあたり、藤原宮から平城宮へ向かう中ツ道の中間地点でした。
 平安時代の寛弘4(1007)年には、藤原道長が吉野詣での途上で「井外堂(井戸堂)」に宿泊したとの記録があり、中ツ道が少なくとも平安時代まで幹線道路として機能していたことがわかります。
 布留川に架かる分后畝橋付近から東側を望むと、一面の水田の奥に青垣の山々が横たわる雄大な景観が目に飛び込んできます。往時は道幅20m以上の大通りだった中ツ道から、元明天皇もこの風景を眺め、歌を詠みました。万葉の昔を偲ばせる、私が大好きな風景の一つです。
                          天理市教育委員会文化財課 K氏

 

 自分にとって親しみ深い土地を離れるということは、誰にとっても不安を伴うことです。しかし、この歌で元明天皇は親しみ深い藤原京を後に新たな都、平城京へと向かいます。そうしなければならなかったのが実情なのですが、その両都のちょうど中間地点である「長屋の原」でこの歌は詠まれました。
 元明天皇は、我が子である文武天皇と姉、持統天皇を藤原京で亡くしています。ならば、悲しい思い出の土地から遠のくことができるので良いのではないか、そう考えられる方もおられるのかもしれません。しかし、我が子と姉を亡くし、よりどころのない女性が新たな都へ行かなければならない心細さは想像に難くないかと思います。
 また、この歌は、元明天皇の姉、持統天皇の飛鳥浄御原京から藤原京へ遷都する際に詠った歌を転用した歌であることが知られています。そして、その飛鳥浄御原京で元明天皇は結婚と出産、さらには夫、草壁皇子を亡くすという人生の節目を過ごしています。つまり、藤原京だけではなく飛鳥浄御原への思いを込めうる歌なのではないでしょうか。元明天皇は新たな都へ歩を進めながらも旧都を振り返り、またそれを通じて自分自身の人生を振り返っていたのではないでしょうか。
 女帝としての元明ではなく、一人の女性として生きてきた時間をこの歌の中に見ることができるように思います。
                              天理大学生 木村綾香氏