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![]() (なかつみち) ― 南北に延びる三官道の一つ ― |
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![]() 近鉄前栽駅東側のようす ![]() 在原神社と別に、在原業平姿見の井戸と伝わる井戸がここにもあります(大和郡山市) ![]() 旧国道24号線と交差する場所に建つ道標 (奈良市) |
![]() 近鉄前栽駅のすぐ東を南北に延びています。 ![]() 道幅が狭いところが多いのですが、朝夕は通勤の車が多いので、気をつけて下さい。 ![]() 壬申の乱(672年)までに敷設されていた官道です。西方2.1qに下ッ道、東方2.1qに上ツ道が並行して延びてています。 中ッ道は、南の藤原京から北の平城京を結ぶ道で、平城京の東側を限る道でもあります。 壬申の乱では、大海人皇子軍の大伴吹負が守屋(旧磯城郡川東村守屋)で、中ッ道を攻め下った大友皇子軍と闘っています。大伴方は一時、不利な戦況となりますが、箸墓で勝利した味方が上ッ道を北上して敵の背後へ回り、勝利を得ることができました。 平安時代には吉野詣で賑わい、御堂関白記には藤原道長もこの道を経て、吉野へ向かったと記されています。 近世には明日香村の橘寺を経て、吉野古道に通じており、「橘街道」と呼ばれました。 橿原市で行われた発掘調査では、両側に側溝を持つ幅25mの中ッ道が確認されています。 ![]() 現在もルートの大部分をたどることはできますが、途中、迂回路として利用されたり、2車線の道路に改修されたりしており、残念ながら昔を偲ぶことはできません。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |
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