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18. 三昧田町上街道沿いの句碑

場所

三昧田町、上街道沿い

作者

松尾芭蕉

出典

『笈の小文』

詠み

   草臥(くたび)れて
   宿(やど)かる比(ころ)や
   藤(ふじ)の花(はな)

意味

 歩きくたびれて、そろそろ宿を借りなければと思っていたところ、ある家の門辺に、夕暮れの色にまぎれず紫色の藤の花が咲いている。
それが旅にあるもののわびしい心にしみいるばかりであった。
「句碑横の説明板より」

 「歩きくたびれて、そろそろ宿を借りなければと思っていたところ、ある家の門辺に、夕暮れの色にまぎれず紫色の藤の花が咲いている。それが旅にあるもののわびしい心にしみいるばかりであった」と、暮春の旅情が詠まれている。
貞享(じょうきょう)4年(1687年)江戸を発ってふるさと、伊賀で越年した芭蕉は、行く年3月、弟子の杜国(とこく)と共に吉野、高野、、紀伊、大和、須磨、明石を巡って、京へ入った。この6ヶ月間の旅を綴ったのが「笈(おい)の小文(こぶみ)」で、この句はここに収められている。
道中、芭蕉と杜国が連名で旧友に送った手紙によると、当地では在原寺、石上神宮に詣でた後、桃尾の滝にも足を延ばし、「・・・丹波市、やぎと云処、耳なし山の東に泊まる。“ほととぎす 宿かる比(ころ)の 藤の花 (下略)”」とある。この句が初案だったのを、“草臥れて 宿かる比や”と詠歎的表現に改め、余情深い現行の句ができたと言われている。
なお、この句碑は、文化十一年(1814年)の春、三輪山下芝邨(したしばむら)風来庵雪酔(ふうらいあんせっすい)によって建立された。

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