昔、後醍醐天皇という天皇がおられました。当時は南北朝の動乱期で、世の中から追われる身であった天皇は、都を落ちのび、笠置から吉野へ向かっておられました。お忍びで山坂を越え、ようやく今の天理にあった内山永久寺にたどりつかれたのです。
後醍醐天皇もそのご乗馬も、ほっとしたのもつかの間、天皇のご乗馬は疲れが出て力が尽きたのでしょうか、池のほとりで倒れてしまいました。天皇は、倒れた馬を介抱して、一生懸命助けようとなさいました。
「おい、しっかりしてくれ。元気を出してくれ。私のためによくここまでがんばってくれたのに」と、たてがみをなでて励ましましたが、なすすべもなく、馬は虫の息で天皇に申しました。
「天皇さま、私は吉野までお供しとうございました。しかし、私にはもうその力がございません。吉野まで行けないのが残念で、死んでも死にきれません。私はこの池に入って魚になり、天皇さまのお側については参れませんが、道中のご無事を祈り続けております。先立つ罪をお許しください」と最期の言葉を残し、馬は息絶えてしまいました。
馬の亡霊が、その池の魚にのりうつったのでしょうか。魚の顔は馬の顔になっていました。そして、草を食べる魚と珍しがられるようになりました。その魚が天皇のご無事を祈り続け、お守りしたのでしょう。寂しくご出発になられた天皇は、つつがなく旅を続けられ、無事に吉野にお着きになったということです。
馬の顔をした魚は、この本堂池だけではなく、奈良東大寺の鏡池や石上神宮の池にもすんでおり、いずれも本堂池から移されたものです。この馬魚の実名はワタカといって、琵琶湖と淀川にすんでいる日本特産の魚だそうです。誰かが淀川付近のワタカをこの本堂池へ放ったのが繁殖したのだろうといわれています。
馬魚が草を食べることから、そして後醍醐天皇のご乗馬がこの池のほとりで死んだことから、この伝説が生まれたのでしょう。本当に、馬の顔をしているのでしょうか。