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今も残る天理の 昔ばなし

嫁取り橋と駒之墓

 天理市の西北にある中町に、駒之墓という墓地があります。また国道二十四号線の西側、近鉄二階堂駅西側より北へ、むかしの中街道が奈良へ通じているところに嫁取り橋という橋が現在もあります。

 そのむかし、この辺り(現在の大和郡山市八条町)の淵とよばれる池から佐保川を通って舟が出航していたそうです。その淵には、火を吹くような大きい蛇が住んでいました。

 淵の近くにお寺があって、ふとしたことから住職が早く死んでしまいました。住職の子どもに、コマノという娘がいました。大阪より年頃の婿を迎えたという娘は、その婿をたいそう嫌いましたが、婿はコマノをたいへん好いていました。

 ある日コマノは婿から逃げようとお寺を出ました。コマノは何とかして身を隠そうとして、神社の大木に登りました。婿はコマノを捜しました。夕日の美しい頃、神社にある池に、コマノの姿がくっきりと見えたようです。婿はコマノ欲しさに思わず池に飛び込みました。それ以来、婿は帰らぬ人になりました。

 それからというものは、寺の近くの淵に住んでいる蛇が、大きい口をあけて何時となく出て来ては、村人達をおびやかしていたといいます。

 ある日、村の娘さんが嫁入りのため橋を渡ろうとしたその時、娘さんの姿が消えてなくなりました。村人達は、「娘がさらわれた。」「娘がさらわれた。」と、それはそれは大変な騒ぎになりました。それ以来、村人達はその橋を嫁取り橋と名付けたそうです。

 コマノの母は、淵にいる大きい蛇のしたことではないか。この蛇を生かしておくと、自分の娘まで捕われてしまう。何とかして火の吹くような大きい蛇を退治しなくてはと、夜も寝ないで考えました。ある日、石上神宮へお願いに行きました。そして、石上神宮より持ち帰った立派な剣で一度に蛇を退治しました。

 コマノは長く伸びた大きい蛇を可哀そうに思い、むかしの中街道の東側の田んぼに、細長く埋めました。それからというものは、コマノは蛇の埋めた所へお参りすることを欠かさなかったようです。村人達はコマノの姿を見ては、何と優しい娘だろうと関心していました。コマノの死を見た時、村人達は蛇の埋めてあるところへ、コマノも一緒に埋めてやったといいます。

 現在中町にある駒之墓という細長い墓地には、そのような伝説があります。



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