布留御魂剣

布留御魂剣ふつのみたまのつるぎ

石上神宮(いそのかみじんぐう) 布留町

  • 拝殿(国宝)
  • 神鶏?
  • 83年ぶりの鳥居

奈良県天理市布留町384番地(山の辺の道沿い)
TEL : 0743-62-0900 石上神宮


〔電車〕
JR・近鉄 [天理駅]徒歩:東へ約30分
〔バス〕
奈良交通[天理駅]→「六郷小学校・苣原行」
石上神宮前バス停]下車 → 徒歩:約5分
〔車〕
名阪国道、天理東インターより南へ約2.3km

駐車場: 有り(無料)
※観光バス可
トイレ: 有り
拝観料: 無料
拝観時間: 特になし
休み: 特になし


このスポットに関するお話

~ 神武東征(熊野)のくだり ~
『古事記』-中巻 〔神武天皇〕 『日本書紀』-巻第三〔神武天皇〕

 さて、カムヤマトイハレビコノ命は、そこから南に回って行かれ、熊野村に到着されたとき、大きな熊がちらりと見え隠れして、やがて姿を消した。するとカムヤマトイワレビコノ命は、にわかに正気を失われ、また兵士たちもみな気を失って倒れた。このとき、熊野のタカクラジという者が、一振りの大刀を持って、天つ神の御子(神武天皇)の臥しておられる所にやって来て、その大刀を献ると、天つ神の御子は、即座に正気をとりもどして起き上り、「長い間寝ていたなあ」と仰せになった。そしてその大刀をお受け取りなさると同時に、その熊野の山の荒ぶる神は、自然にみな切り倒されてしまった。気を失って倒れていた兵士たちも、みな正気をとりもどして起き上がった。
そこで天つ神の御子が、その大刀を手に入れたわけをお尋ねになると、タカクラジが答えて申すに、「私が夢に見ましたことは、天照大御神あまてらすおおみかみと高木神の二柱の神の御命令で、タケカヅチノ神を呼び寄せて仰せられるには、『葦原中国あしはらのなかつくにはひどく騒然としているようだ。わが御子たちは病み悩んでいるらしい。その葦原中国は、もっぱらあなたが服従させた国である。だから、そなたタケミカヅチノ神が降って行きなさい』と仰せになりました。これに答えてタケミカヅチノ神が申すには、『私が降らなくても、もっぱらその国を平定した大刀がありますから、この大刀を降しましょう』と申しあげました(この大刀の名はサジフツノ神といい、またの名はミカフツノ 神といい、またの名はフツノミタマという。この大刀は石上神宮に鎮座しておられる)。そしてタケミカヅチノ神は、『この大刀を降す方法は、タカクラジの倉の棟を穿うがつて、その穴から落とし入れることにしよう。だから、おまえは朝目覚めて、縁起のよい大刀を見つけて、それを天つ神の御子(神武天皇)に献上しなさい』と仰せになりました。そこで、夢のお告げのとおりに、翌朝私の倉の中を見ると、はたして大刀がありました。それでこの大刀を献上するしだいです」と申しあげた。

【現代語訳:紀】

天皇はひとり、皇子手研耳命たぎしみみのみことと、軍を率いて進み、熊野の荒坂の津に着かれた。そこで丹敷戸畔にしきとべという女賊を誅された。そのとき神が毒気を吐いて人々をえさせた。このため皇軍はまた振わなかった。するとそこに、熊野の高倉下たかくらじという人がいた。この人のその夢の夜に、天照大神あまてらすおおみかみ武甕雷神たけみかずちのかみに語っていわれるのに、「葦原あしはらの中つ国は、まだ乱れ騒がしい。お前が往って平げなさい」と。武甕雷神は答えて「私が行かなくても、私が国を平げた剣を差向けたら、国は自ら平らぎましょう」といわれた。天照大神も「もっともだ」と。そこで武甕雷神は、高倉下に語って、「私の剣は名をふつのみたまという。今あなたの倉の中に置こう。それを取って天孫に献上しなさい」と。高倉下は「承知しました」と答えると目が覚めた。翌朝、夢のおつげに従って、庫を開いてみると、果して落ちている剣があり、庫の底板に逆さにささっていた。それを取って天皇に差上げた。そのときに天皇はよく眠っておられたが、にわかに目覚めていわれるのに、「自分はどうしてこんなに長く眠ったのだろう」と。ついで毒気に当っていた兵卒どもも、みな目覚めて起き上った。

 長い参道をのぼり、83年ぶりに建て替えられた大鳥居をぬけると、鬱蒼とした境内は静まりかえり、時間の流れが止まっているかのようでした。
 記紀に「神宮」と記されているのは、伊勢神宮と『石上神宮』だけだそうです。
 石上神宮の創始は古く、神武東征の時、力をふるった天剣と霊威を「布都御魂大神ふつのみたまのおおかみ」、鎮魂たまふりの主体である天璽十種瑞宝あまつしるしとくさのみづのたからの霊力を「布留御魂大神ふるのたまのおおかみ」、素盞鳴尊すさのおのみこと八岐大蛇やまとのおろちを退治した剣の威霊を「布都斬魂大神ふつしみたまのおおかみ」と称え、崇神天皇七年、石上布留の高庭に『石上大神』として祀ったのが創りだそうです。
 かつて本殿がなく、拝殿後方の禁足地の地中深くから明治に発掘された数多くの宝物の中に「布都御魂剣ふつのみたまのつるぎ」があり、現在の本殿に祀られました。そして、禁足地は今も布留社と剣先状石瑞垣で囲まれ、古代の佇まいを残し、まさしく神域の重厚さを醸し出しています。
 石上神宮境内を散策していると、「コケッコッコー」と鶏の鳴く声がしたので、周りを見渡しましたが姿は見えず・・・。 何気なく、上を見上げると、木の枝に一羽二羽三羽・・・。木に飛び乗っている神鶏がいました。周りにいた方たちも、笑いながら一緒に見上げておられました。
 紅葉や銀杏の彩りに包まれる秋の石上神宮もまた綺麗です。

天理市産業振興課 U氏

神社にお参りするとすがすがしい気持ちになるものですが、石上神宮さんの「気」が特別私に合うのでしょうか、お参りするたびに不思議な気持ちを味わいます。
 4年前、私は初めて歩いて石上神宮に行きました。7月中旬、真夏の太陽に照らされながら、北の方より10㎞以上歩いたところに森が見えてきて、その森に近づくにつれ、真夏にもかかわらず、心がさわやかで涼しげな気持ちに満たされていくのを感じました。何度か通っていた鳥居のある参道ではなく、近づくまでわからなかったのですが、それが石上神宮の布留ふるの森だったのです。
 また、この石上神宮では、11月に「鎮魂祭ちんこんさい」が行われます。私は昨年その折にお参りをさせていただきました。宮司様のお話によりますと、この「鎮魂祭」は、魂を再生させる、生まれ変わらせる儀式だそうです。
 私たち参列者が皆低頭するなかで、神職様が神様をお祭りしているほこらの扉を開けられると、少し扉のきしむ音がして、そのあと、11月の夕方の寒さにもかかわらず、冷えていた手先や身体がふわっと温かくなり、それはそれは幸せな気持ちになりました。神様がお出ましになられたのかしら?と感じた瞬間でした。
 鎮魂祭のなかの「魂振たまふりの儀」では、静寂の中に清らかな鈴の音だけが響きわたり、その鈴の音に魂が新たな力を呼び覚まされる様な、身の引き締まる思いでした。
 このように、お参りするたびに心に感謝の気持ちがわき上がってきて、とても幸せな気持ちになるのです。私にとって石上神宮さんは、何度もお参りしたくなる、とても大切な場所です。
 この気持ちは、なかなか文章では伝えられません!ぜひ、実際にお参りしていただき、皆さまに、この「暖かで幸せな気持ち」を体験していただきたいと思います。

奈良県観光局ならの魅力創造課 谷垣裕子氏

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