石上神宮(いそのかみじんぐう) 布留町
奈良県天理市布留町384番地(山の辺の道沿い)
TEL : 0743-62-0900 石上神宮
〔電車〕
JR・近鉄 [天理駅]徒歩:東へ約30分
〔バス〕
奈良交通[天理駅]→「六郷小学校・苣原行」
石上神宮前バス停]下車 → 徒歩:約5分
〔車〕
名阪国道、天理東インターより南へ約2.3km
このスポットに関するお話
太刀一千口 ( ~ 物部氏、氏神の起こり ~ )
『古事記』-中巻 〔垂仁天皇〕?『日本書紀』-巻第六〔垂仁天皇〕
【現代語訳:記】
次にイニシキノイリヒコノ命は、
【現代語訳:紀】
?三十九年冬十月、
またの名を
― ある説によると、五十瓊敷皇子は、茅渟の菟砥の河上においでになり、鍛冶の名は河上という者をおよびになり、太刀一千口を造らせられた。
この時に
石上神宮には、たくさんの太刀、短刀、脇差が収められています。
その中で、古来より「小狐丸(こぎつねまる)」の名で呼ばれる、有名な鎌倉時代の古備前物の太刀も伝わっています。
「小狐丸」には次のような昔話があります。
昔、布留にひとりの若者がありました。父の病気平癒を祈って、毎年、信貴山へ
それから後、その水に大蛇が住み、田畑を荒らし、嫁入りの花嫁を連れ去ったりして、おおいに地元の人を苦しめました。
ここにまた、布留郷にひとりの婦人がありました。寒中に菅田の森を通ると、一匹の小狐が子を抱えながら、乳がなくて困っているのに出会いました。婦人は狐をあわれんで、その後、毎夜そこに通って小狐に乳を授けてやりました。狐はその御礼として一口の剣を婦人に贈りました。これは、狐が刀鍛冶の弟子に化けて、向鎚を打って作ったものでした。後に小狐丸といわれるの剣です。
婦人は、狐の助力により、この小狐丸を揮って、かの大蛇を退治しました。そして、その剣を郷社の布留明神に献上したのです。布留明神とは、今の石上神宮のことです。
小狐丸は、今も石上神宮の神宝の中にあります。維新前に古墳の盗掘が流行したころ、この剣を持って行くと、たたりがないといわれ、一時盗賊の手に入って魔除に使われたこともありました。その後、ある殿様の手に入り、これは尋常の物ではないというので、元の石上神宮にかえされました。その後また盗難にあいましたが、今はまたもとに帰ってきています。
この剣を抜くと、小狐の走る姿が現われると言われています。
杣ノ内町 M氏
拝啓、全国の高橋さん。
日本で最も多い苗字ランキングの第三位にあるという「高橋さん」。その名前のルーツがこの石上神宮の傍にあるってご存じですか?ルーツには諸説ありますが、その一つに「布留の高橋」説があります。石上神宮の社殿を左に見ながら道を抜けると布留川を渡ることになるのですが、その橋こそ『日本書紀』に出てくる「影媛哀れ」ゆかりの橋、「布留の高橋」。高橋さんの源流となる橋なのです。
では、なぜそれが高橋さんのルーツなのかといいますと・・・
孝元天皇の皇孫大稲輿命の子である
では、なぜ「布留の高橋」から名前を取ったのでしょう?
それは、私にはハッキリ分かりません。本当はここが一番肝心なのですが・・・。もしかすると、布留の高橋が架かる場所にある小滝で石上神宮のご供物などを洗い清めていたとするならば、天皇の食事を手がけていた氏族であれば、そんな場所にあやかろうとするのもありうる?或いは、日本書紀にも記され、万葉集にも詠まれるくらい有名な橋であったということは、とても景観の良い場所だったのだろう。そんな綺麗な名前をついつい名乗っちゃったとか?また、橋自体が当時は珍しいものであったからとか。・・・などなど、いい加減でもロマンチックに思いを巡らせながら歩くのに最適なのが、石上神宮周辺。
全国の高橋さん!いえ、鈴木さんも田中さんも中村さんも、是非、ロマンを語りに石上の森へいらしてください!!
天理大学附属天理参考館 M氏