仁徳天皇の時代、闘鶏氷室発見 福住町
奈良県天理市福住町淨土
TEL : 0743-63-1001 天理市観光協会
〔電車〕
なし
〔バス〕
天理駅発/六郷小学校行:浄土下車 徒歩約5分(1日2本運行)
〔車〕
名阪国道、福住インターより北へ約700m
このスポットに関するお話
『日本書紀』-巻第十一 〔仁徳天皇〕
六十二年夏五月、遠江国の国司が申し上げた。「大きな樹があって大井川から流れて、河の曲り角にとまりました。その大きさは
天理市福住町をはじめ奈良県東部山間地一帯では、冷蔵庫もなかった古代に、冬の寒い時期に池で厚い氷を作り、それを切って山に掘った鉢状の穴に入れてススキなどをかぶせて保存し、夏に取り出して使用していました。その氷を保存した穴を
その用途は、天皇などが亡くなったときに遺体を保存するのに使用されたり、お酒に入れてオンザロックとしたり、削ってかき氷にして食べたりしていました。また、氷の出来具合でその年の吉凶なども占っていたようです。
この一帯は、古代には
そこでは、おおくの氷室が作られ、奈良の都・平城京や平安京に運ばれました。
昭和63年、平城京で長屋王邸跡で大量の木簡が発掘されました。その中に「都祁氷室」のことが書かれた木簡が含まれていました。
これにより、福住地方から平城京の長屋王邸宅に氷室の氷が運ばれたことが証明され、また、その記述内容には『日本書紀』と一致する部分がありました。
福住には、氷の神をまつる「氷室神社」があります。
「福住いにしえ会」O氏
福住には古代の氷室跡が今も20基以上も残っています。これは、この地が標高400㍍から500㍍の位置にあり、
また、氷室神社は夏でもヒンヤリとするような杜に鎮座し、
毎年、秋の例祭以外に、7月1日には献氷祭がおこなわれ、冷凍業者なども遠く県外から参拝されます。
「福住いにしえ会」O氏
天理市福住町と奈良市長谷町との境界付近の山頂に、「塔の森さん」と地元の人が呼ぶ場所があります。
この塔の森には凝灰岩製の六角六重石塔があります。もとは十三重塔であったようですが、壊れて現在は六重塔となっています。作られたのは奈良時代とみられ、部分的に壊れてはいますが、随所に巧みな作風がみられる立派なものです。
古代、福住をはじめとするこの東部山間地一帯は、
毎年7月1日に行われる氷室神社の「献氷祭」前日に、この塔の森で早朝より祭祀が執り行われます。この石塔は、現在、奈良県指定の文化財に指定されています。
「福住いにしえ会」O氏