タケハニヤスヒコの反乱 和爾町
奈良県天理市和爾町
〔電車〕
JR万葉まほろば線[JR櫟本駅]下車 → 徒歩
:東北へ約2km/約40分
〔バス〕
国道169号線 奈良交通[白河橋]バス停下車
→ 徒歩:東北へ約1km/約20分
〔車〕
国道169号線 白河橋交差点を東南へ約0.5km、
櫟本高塚公園駐車場から徒歩約12分 中山バス停付近を東へ約2分
駐車場: | 櫟本高塚公園駐車場 |
---|---|
トイレ: | 櫟本高塚公園公衆トイレ |
拝観料: | 特になし |
拝観時間: | 特になし |
休み: | 特になし |
このスポットに関するお話
『古事記』-中巻 〔崇神天皇〕
『日本書紀』-第五巻 〔崇神天皇〕 ~タケハニヤスヒコの反乱~
【現代語訳:記】
そこでオホビコノ命は、さらに都に引き返して、天皇に申しあげてお指図を乞うと、天皇が答えて、「これは
そこでヒコクニブクノ命が相手に求めて、「まずそちらの人から合戦の合図の矢を放て」といった。そこでタケハニヤスノ王が矢を射たけれども命中しなかった。ところがクニブクノ命の放った矢は、タケハニヤスノ王に命中して王は死んだので、その軍勢は総くずれとなって逃げ散った。そこでその逃げる軍勢を追いつめて
こうしてオホビコノ命は平定し終わって、都に上って天皇に復命した。
【現代語訳:紀】
天皇の
この戦いでは、いくつかの地名とその由来が古事記や日本書紀に記載され、それがおもしろい。
例えば、追い詰められた兵士の着衣から
また、京都府の南部を流れる木津川を記紀が編纂された頃(奈良時代)は泉川と呼び、さらに合戦が起きた崇神天皇の頃(古墳時代)は
天理市文化財課 M氏
記紀には、崇神天皇に仕える優れた武人としてヒコクニブクの命が登場します。彼は和爾氏の祖人で、タケハニヤス王との戦いから推測して強力な軍隊を保持していたようでした。朝廷の防衛を担っていたのかもしれません。彼はワニ坂で神聖なる戦勝祈願を行っています。ワニ坂はワニ氏の拠点でした。天理市北部の櫟本町、和爾町、楢町の辺りはワニの里として知られ、ワニ氏に関わる伝承が残ります。
例えば、櫟本町の和爾下神社は記録によれば和爾氏の始祖で
天理市文化財課 M氏