大和神社(おおやまとじんじゃ) 新泉町
奈良県天理新泉町306番地
TEL : 0743-66-0044 大和神社
〔電車〕
JR万葉まほろば線[JR長柄駅]下車 → 徒歩:東へ約10分
〔バス〕
奈良交通[天理駅] → 「桜井駅北口行」
[大和神社前バス停]下車 → 徒歩:西へ約15分
〔車〕
名阪国道、天理東インターより南へ約6km
このスポットに関するお話
『万葉集』-巻5-894 山上億良 (
神代より
【現代語訳:万】
神代から言い伝え来ることには、空に充ちる大和の国は、統治の神の厳しき国で、言霊の幸ある国と語りつぎ言いついで来ました。今の代の人も皆、この事は眼前に見、知っています。大和の国には人も多く満ちているのに、高く輝く日の朝廷で、神としての天皇がもっとも愛され、天下の政治をとられた家柄の子として、あなたをお選びなさり、今あなたは天皇のお言葉を奉戴して唐という遠い国土へ派遣され出立していかれます。そこで大海の岸にも沖にも神として留まり支配される諸々の大御神たちは、船の先に立って先導し申し、天地の大御神たちは、大和の大国霊をはじめとして、遥か彼方の天空からとび翔り見渡しなさるでしょう。また、無事使命を果たして帰国するでしょう日には、さらに大御神は船の先に御手をかけ、墨繩を引き伸ばしたように、あちかをし値嘉の岬をとおって、大伴の御津の海岸に、まっ直に泊まるべく御船は帰港するでしょう。無事にしあわせにいらっしゃって、早くお帰りなさい。
【注】
好去好来の歌 → 遣唐使におくる歌。
大国霊 → 今の大和神社の神。大和の地霊神。
天理市新泉町にある大和神社は、2000年以上前に創建されたと伝えられる、日本で最も古い神社の一つです。山の辺の道から少し西に外れた場所に位置し、上ツ道と呼ばれる古代の幹線道に面した広大な神域を有しています。一の鳥居、二の鳥居をくぐり抜けて長い参道を歩き続けると、中央に
作者である山上憶良は、好去好来を歌って3ケ月後に死去したといわれています。この壮行歌を献じた相手である多治比真人広成が唐から帰京する2年程前のことです。当時既に74歳になっていた憶良はその運命を予感していたのでしょうか、20歳程も離れた広成の出立に際し、幸いをもたらすという「言霊」に餞の祈りを託さずにはいられなかったのかもしれません。静寂な境内の、落ち着いた雰囲気の中で、憶良が紡いだ壮麗な「言霊」の幻想画を描いてみてはいかがでしょうか。
天理大学国文学国語学科 山村聡美氏
天平5年(733年)、第9次遣唐使の大使として派遣される
名門の家の丹治比広成に歌を送ったのは、憶良が74歳の時。30年前の第7次遣唐使に遣唐少録として入唐の経験がある憶良には、帰還の大変さを身にしみて感じていたにちがいありません。だから、大和への帰還をこの大和神社の大国魂の神にご加護を祈りました。
この3ケ月ほどして憶良は世を去っています。
風波によって漂着しながら、やっと帰ってきた広成に会うことはできませんでした。
ちなみに第4船は難破しています。
天理市山の辺の道ボランティアガイドの会 T.K氏