託された姫1

託された姫1たくされたひめ いち

大和神社(おおやまとじんじゃ) 新泉町

  • 大和神社
  • 御弓始式(1月4日)
  • 75年ぶりの葺き替え

奈良県天理新泉町306番地
TEL : 0743-66-0044 大和神社


〔電車〕
JR万葉まほろば線[JR長柄駅]下車 → 徒歩:東へ約10分
〔バス〕
奈良交通[天理駅] → 「桜井駅北口行」
[大和神社前バス停]下車 → 徒歩:西へ約15分
〔車〕
名阪国道、天理東インターより南へ約6km

駐車場: 有り(無料)
トイレ: 有り
拝観料: 無料
拝観時間: 特になし
休み: 特になし


このスポットに関するお話

『日本書紀』-巻第五〔崇神天皇〕~崇神天皇の時代、疫病大流行のくだり~

【現代語訳:紀】
五年、国内に疫病多く、民の死亡するもの、半ば以上に、及ぶほどであった。
六年、百姓の流離するもの、或いは反逆するものあり、その勢いは徳を以て治めようとしても難しかった。それで朝夕天神地祗てんじんちぎにお祈りをした。これより先、天照大神あまてらすおおかみ倭大国魂やまとおおくにたまの二神を、天皇の御殿の内にお祀りした。ところがその神の勢いを畏れ、共に住むには不安があった。そこで、天照大神を豊鍬入姫命とよすきいりびめのみことに託し、大和やまと笠縫邑かさぬいむらに祀った。よって堅固な石の神籬ひもろぎ(神の降臨される場所)を造った。また日本大国魂神やまとおおくにたまのかみは、渟名城入姫命ぬなきいりびめのみことに預けて祀られた。ところが渟名城入姫命は、髪が落ち体が痩せてお祀りすることができなかった。

 第10代崇神すじん天皇の代に疫病が大流行し、国民が死に絶えそうになったそうです。それは、新しい王権に対する大和の土着の神々の怒りなのか。王権に祟ったのは、いったい誰だったのでしょう。
 崇神天皇は、天照大神あまてらすおおかみと地主神・日本大国魂神やまとおおくにたまのかみの二神をお祀りするものの・・・、なおおさまらず。
 新たに祀られる神と土着の神々、入って来るものと元からそこにいるもの、その和を成していく心模様があったとは。
 むかしむかし、この静かな緑なす大和の杜にもそんな物語があったのですね。
 皇女、渟名城入姫命ぬなきいりびめのみことに勅して、日本大国魂神を市磯邑いちしむら(大和郷)に移されたのが、ここ大和神社の創始であると伝えられています。 

天理市産業振興課 A氏

 大和路にお祭りはいろいろありますが、大和ではこのようなうたがあります。
 “祭り始めはちゃんちゃん祭り、祭り納めはおん祭り”と。 
 そのちゃんちゃん祭りが大和神社でおこなわれます。
 この祭りは4月1日、春を告げるお祭りで、鉦をチャンチャンと鳴らすことから、「ちゃんちゃん祭り」とも呼ばれ、山辺路を巡行する春の風物詩の祭礼と言えます。
 猿田彦大神を先頭に神輿に乗った神様が、大和神社から山の辺の道の大和稚宮やまとわかみやお旅所まで往復します。200余名の氏子達が白の浄衣に白袴着し、黒の烏帽子で、のどかにお旅所まで行きます。
 そのお旅所では、九町の頭屋の氏子達がそれぞれにお供えをします。長柄は塩鯛、佐保の庄はちまき、兵庫町は柳の箸一膳とそうめんをお供えして豊作を祈願し、その間、座中の者は弁当を広げて食事をします。また、龍の口の舞が奉納され、夕方「神幸」が本社に還幸して終わります。
 昭和20年ごろまでは、3月30、31日になると神社の一の鳥居辺りに魚の市がたち、各家庭でブリを食べたそうです。そのことから、ちゃんちゃん祭りは別名、「ブリ祭り」とも言われたとか。

 『戦艦大和』には大和神社の分霊が祭られていました。実は、大和神社の参道の長さと戦艦大和の艦の長さは同じで、参道の幅の5倍が艦の幅です。お参りされた時、参道を歩いて長さを実感されてみてはいかがでしょうか。

 『遣唐使の崇敬』
 奈良時代、遣唐使は航海の安全を願って無事帰国する為に、必ずここを参拝したといわれています。 

天理市山の辺の道ボランティアガイドの会 Y氏

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