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今も残る天理の 昔ばなし

ジャンジャン火

 昔、藤井町の龍王山(りゅうおうざん)に、十市遠忠(といちとおただ)が城を築きました。その城は大変立派な城で、ちょっとやそっとでは落城(らくじょう)しないと言われていました。

 城主の十市遠忠もすぐれた武将(ぶしょう)でしたが、ついに信貴山城主の松永久秀(まつながひさひで)に攻め落とされてしまいました。遠忠は信貴山(しぎさん)をにらみ、恨うらみながら憤死(ふんし)し、大勢(おおぜい)の兵士たちも、火の手が上がった城とともに命を落としてしまいました。

 その後、彼らの恨みは城跡(しろあと)に残り、成仏(じょうぶつ)できないまま、火の玉となって山上に現れるようになりました。

 雨が今にも降りだしそうなある夏の夜、山上に大きく真っ赤な火の玉が現れました。それを見た村人が「ホイホイ、火の玉だ!」と言ったとたん、城跡から無数むすうの火の玉がジャンジャンうなりをたてながら飛んできてその人をとりまき、焼き殺してしまいました。

 そんなことが龍王山を囲む村々でたびたび起こったので、村人たちは「ジャンジャン火を見るな!声を出すな!ジャンジャン火が通る時は橋の下にかくれろ。通り過ぎるまで出てはいかんぞ!」と言って恐れました。

 ある時一人の武士(ぶし)が現れ、「俺が退治(たいじ)してやろう。」と龍王山の中腹(ちゅうふく)で火の玉を斬りつけましたが、(かぶと)に火がつき、死んでしまいました。

 また、ある時は関取せきとりが力ずくで退治しようと龍王山に登りましたが、戻ってきません。村人が探しにいくと、関取は大きな体をクモの糸でぐるぐる巻きにされ、息絶いきたえていました。驚おどろ)いた村人は(かま)草履(ぞうり)を放り出し、転げるようにして村に逃げ帰りました。

 それからは、城跡へ誰か行くと必ず何か落とし物をしてくるようになったそうです。

 田井庄(たいのしょう)首切地蔵(くびきりじぞう)付近では、ジャンジャン火に出会った武士が刀で斬りまくり、はては石地蔵の首まで切り落としてしまいましたが、結局は黒こげになって死んだそうです。

 また、丹波市(たんばいち)南之町(みなみのちょう)で火の玉に出会った人は、持っていた提灯(ちょうちん)で防ぎましたが、焼け死んだと言われています。

 十市城で亡くなった十市遠忠や多くの兵士たちの怨念おんねんは、恐ろしいものですね。

おはなしの舞台

藤井町
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