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今も残る天理の 昔ばなし

守目堂の由来

昔、守面堂もりめんどう村に儀兵衛よしべえという中年の男が妻と住んでおりました。夫婦には子供がありませんでしたが、まずしいながらも生活にこまることもなく暮らしていました。

ある日、田んぼから帰ってきた夫が、突然とつぜんなんにも見えへん。お前はどこや」と言い出すではありませんか。妻はおどろいて「私が見えしまへんのか。ここにいますがな」と夫の顔をのぞき込みましたが、夫は両手りょうてで目をこすり「見えへん。真っ暗や。」となげくばかりです。日頃の過労かろうがたたったのでしょうか。さっそく近くの医者にてもらいましたが、夫の目は悪くなるばかりで、いっこうによくなりませんでした。

妻はどうしたものかと、色々思いまよいました。壺阪つぼさか多武峰とうのみね観音かんのんさまは、目の病気に霊験れいげんあらたかだと聞いているけれども、どうやってそんな遠くの山の中の観音さまへお参りにいけるでしょう。目の悪い夫を一人残しては行けず、一緒に連れて行くこともかなわず、途方とほうにくれるのでした。ふとその時、近くの白山権現はくさんこんげんにささやかな観音堂かんのんどうのあることを思い出し、「壺阪までは行けないけれど、慈悲じひ深い観音さまは、きっと私の願いをかなえてくださるにちがいない。」と三・七・二十一日のがんかけを始めました。

しかし、満願まんがんの二十一日目になっても夫の目はよくなりません。さらに二十一日の願かけをしましたが、夫の目はまだなおりませんでした。それでも妻はくじけることなく、「満願の日を自分で決めたりせず、夫の目の治るまで、夫と共に何日でもお参りしなくては。」と考え直し、それからは夫婦そろって毎日毎日、暑い日もこおりつくような冬の日も、一心いっしんに祈り続けたのでした。

夫婦の真剣しんけんさが観音さまに通じたのでしょうか。ある日、妻が雨戸あまどを開けると、夫が大声をあげました。「目の中が明るくなった。何か目の中に光るものが入ってる。」と、妻をきしめました。それからも観音さまへのお祈りは続きました。しばらくしたある日のこと、突然「目の中に日の矢が刺さった」とたおれ込んだ夫が目を開けると、妻の顔がはっきりと見えたのです。「目が見える。お前の顔が!」妻は夫の顔をまじまじと見つめ、「私たちの信心しんじんが通ったんや。これもみんな観音さまのおかげや。」と涙をこぼし、夫婦はかたく抱き合って共に喜び合いました。

それ以来いらい、誰言うとなく、今まで呼んでいた森面堂という地名をあらため、「目を守る堂」ということから「守目堂もりめどう」というようになりました。そして、ここの観音さまは、目を守ってくださる霊験あらたかな仏さまといわれています。

おはなしの舞台

守目堂町
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