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今も残る天理の 昔ばなし

「おめでとう」を言わない村

昔、萱生かようの村では、正月になってもしめ縄を飾らず、「おめでとう」も言わない風習ふうしゅうがありました。

それは江戸時代のお話で、当時は幕藩体制ばくはんたいせいのもとで年貢米ねんぐまいの取り立てがきびしく、農民のうみんの生活は大変でした。

そのような中、天明てんめい年間にさらに農民を苦しめる大飢饉だいききんおそいました。

米は実らず、収穫しゅうかくもまったくありません。年貢米どころか、自分たちが食べることすらできない状態じょうたいで、農民たちはとても困っていました。

ところが年の暮れになっても年貢米がこないので、役人やくにん庄屋しょうやさんの家へ行き、「年貢米を納められないのなら、お前をらえるぞ!」と言っておどしました。

しかし、無いものを納めることはできません。ついに庄屋さんは番所ばんしょ連行れんこうされ、ろうに入れられてしまいました。それは、年の暮れから正月にかけてのことでした。

そんなことがあってから、村人たちは、「庄屋さんが自分たちの代わりに縄をかけられて牢屋ろうやに入れられた。庄屋さんは正月の祝いもできないのに、われわれだけがしめ縄を飾り、おめでとうと言ってお祝いをすることはできない。庄屋さんと苦労くろうを共にしよう。」と話し合い、正月の行事を全てつつしむようになりました。

その後、初詣はつもうでの道中で人にあっても口をきかない風習が生まれたそうです。

昔の義理人情ぎりにんじょうがよく表れているお話ですね。

おはなしの舞台

萱生町
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