「今年も豊作万作だとええのう」「ほんまに一粒でもたんと、米がとれるようにな」と話しながら、村人たちは、田んぼの肥料になるれんげ草の種をまきました。
その年も、春のうららかな陽ざしのもと、どの田んぼも花のじゅうたんを敷きつめたように、れんげ草が美しく咲きそろいました。しかし、実がちっともなりません。
「もう田を耕さなならんのに、れんげの実がのらんな」「毎日田んぼを見つめてるのに、いっこうに実がつかんなあー」「どうしたもんやろ?」「田を耕す旬が遅れては、田植えも遅うなるし。」「れんげの種が悪かったんや。つぎはええ種選んで、まかなあかんな。」「そうやなあ。そうしまひょ。」と、村人たち。
つぎの年からは、よい種を吟味してまきましたが、やはり、田んぼを耕す時期がきても実がつきません。村人たちは、腕を組み、何が原因なのか考え抜きましたが、実らない理由はわからず、首をかしげて不思議に思うばかりでした。
それからというもの、龍王山にある十市城が松永久秀に攻められて落城したために、城主十市遠忠のうらみでれんげの実が実らなくなったのだといわれるようになりました。
実際は、十市城での戦いは行われていません。また、藤井町は標高500メートルのところで寒さが厳しいため、れんげ草の花は咲いても、春に田を耕して田植えをするまでに実らないのでしょう。
このほかにも、藤井や柳本のあたりには「十市城落城」として、言い伝えがたくさん残っています。