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今も残る天理の 昔ばなし

在原業平と井筒

平安時代、歌人であり美男子としても知られた在原業平ありわらのなりひらは、今の櫟本いちのもと町の在原神社(在原寺)あたりに住んでいました。

幼い頃、仲よしの女の子とそばの井戸で姿を写したり、井戸のへりに小袖こそでを掛けたりして遊びましたが、その内、女の子は業平に思いを寄せるようになりました。

しかし、大人になった業平は河内かわちの河内姫という女性を恋するようになり、遊び仲間の女の子を忘れてしまいました。

業平は河内へ河内へと足繁あししげく通い、河内姫への恋を燃やしましたが、ある日、姫のふとした下品げひん態度たいどを見、いっぺんに恋心こいごころがさめてしまいました。

これも移り気な男心おとこごころなのでしょうか。河内姫は河内に出向かなくなった業平を追いかけ、柿の木の下にある井戸までやってきました。業平が柿の木に登ってかくれていると、井戸に映った業平の姿に、河内姫は「この中に業平さまが・・・」と、井戸に飛び込んでしまいました。

哀(あわ)れなことに、女心おんなごころむくわれず、井戸の中へと消えてしまいました。

その後、この井戸は「業平姿見すがたみの井戸」と言われるようになりました。

さて、幼い頃に遊んだ女の子は大人になっても、業平に思いを寄せていましたが、河内へ河内へと通う男心がうらめしくてなりませんでした。

業平のかんむりをかぶった我が姿を井戸の水に映しては業平をしのび、幼い頃の楽しい日々を思い出しては片思いのさびしさをまぎらわしていました。

年毎としごとに老いてゆく姿は、恋を取り戻すことができぬまま、寂しく思い出に生きる老婆ろうばとなり、最後は草ぼうぼうの井筒いづつに果ててしまいました。

この寂しい老婆の物語は、世阿弥ぜあみによってのうの「井筒」に書かれ、現在も上演されています。

また、業平が河内の高安たかやすへ通ったとされる業平道には今も「業平姿見の井戸」が残り、かたわらには与謝蕪村よさのぶそんの「虫鳴くや河内通いの小提灯こじょうちん」の句碑くひが建っています。



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