天理の市街地から東の大和高原に、山田という静かな集落があります。そこには永楽寺というお寺があり、そこから田んぼづたいに小道を登った、清らかなせせらぎと深い山に囲まれた谷間に地蔵さんがまつられていました。
昔、子どもがこの地蔵の前で小さな鏡を拾いました。鏡は土で汚れていて、何も映りません。小川で洗い、のぞいてみると、とてもきれいに映りました。
「私の顔はこんなに美しいのやろか?」と、うれしくなって地蔵さんに聞いてみました。
地蔵さんは「あなたは今、鏡を洗ったでしょう。だからきれいに映ったのですよ。」とおっしゃいました。
子どもは地蔵さんがしゃべったのでびっくりしましたが、喜んで、地蔵さんのお顔を映したり、自分の顔を映したりして遊びました。
しばらくして、子どもの母親が呼びにきました。母親は、子どもが地蔵さんに悪いことをしていると思い、「こんな所で遊んだりしたらあかん。お地蔵さんが怒らはるで。早う、その鏡をそこに返しとき。」と言って、連れて帰りました。
家へ帰った子どもは、あの美しい鏡のことを思い出すと、欲しくて欲しくてたまりません。とうとう熱をだして病気になってしまいました。
心配した母親は、地蔵さんのところでいたずらをしたバチがあたったのだと思い、お地蔵さんにお詫びのお参りをしました。
すると、その夜、母親の枕元にきれいな弁天さまが現れて「私は子どもが大好きです。私の大切な鏡を与えたら、子どもと仲良くできると思って置いたのに、あなたは子どもを連れて帰ってしまいました。私はとても寂しいのです。」とお告げになりました。
母親はびっくりして、子どもを連れて地蔵さんの所へ行きましたが、鏡はもうありませんでした。でも子どもはすっかり元気になり、毎日、地蔵さんと遊びました。
それから、地蔵さんの前の小川で手を洗うと手がきれいになり、顔を洗うと顔がきれいになると、村人は語り合い、この地蔵さんを「弁天地蔵さん」と呼び、いっそう親しく思うようになりました。
こうして弁天地蔵さんは、村人と仲良くしながら、村人を見守っていてくれているということです。