むかしむかし、中山庄という村(現在の天理市中山町)で、ある年、長い日でりが続き、村人たちはうえ死にしかかっていました。
「わしらはどうすればいいんじゃ。」
「このままではみんなうえ死にじゃよ。」
「ううん、ほんに・・・困りましたのう。」
村人たちは、一か所に集まり毎日毎夜、話し合いをしていました。そこへ行基菩薩が通りかかり、村人の集まる草庵で一夜をあかされたことがありました。と、そのとき字長山という所に、光を放つものがありました。
「あれは、なんなんだろうう。」
村人たちが、おそるおそる近づいて見ると、村人達を包み込むような光が、土の中から放たれていました。
誰からともなく皆で掘り出して、だいじにだいじに土を取り払ってみると、それは光を放つ朽木でした。
その次の日から収穫出来る農作物が、だんだん増えてきました。村人たちはその朽木を私達のお守りさんだとうわさをしあい、「ありがたいことじゃ。」「ありがたいことじゃ。」と喜びあいました。
行基菩薩は、「これは霊木だ。」と言って、この朽木で観音菩薩像を刻みました。そして、この地に一宇を建ててこれを安置しました。
これを中楽院中山寺といい、村人たちの信仰を受けていました。ところが、天正四年十市城落城の際に兵火にかかって焼失したといわれています。
※行基菩薩-奈良時代の僧(668~749)