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今も残る天理の 昔ばなし

地獄井戸

 むかし、かみなんかという村(現在の柳本(やなぎもと)(ちょう)上長(かみなん)())に、たいそう気立てのいい親孝行な娘が住んでいました。村の誰もが嫁にほしがるような娘で、両親の野良仕事を手伝いながら家の炊事を一人でまかされていました。両親もいい娘だと言ってたいそう喜んでいました。一日の家事の中でもっとも大変なことは、村の下を流れる谷川の水を汲んで家に運ぶことでした。一日に何回も何回も坂道を上ります。でも、この娘はいつでも楽しそうに運んでいました。

 この娘の話はいつしか弘法大師の耳に入りました。それを聞いた大師は、娘の村に井戸をお掘りになりました。この井戸は娘にも、また村の人々にも、それはそれは恵みの井戸でした。

 また、この土地は赤土の粘土層でしたので、石垣を積まなくても井戸は壊れることはありませんでした。しかし、一旦井戸の中へはまると石垣がないのであがることが出来なかったそうです。そこで、だれ言うこともなく「地獄井戸」という名前がつきました。今はもう、その井戸もなくなってしまいました。



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