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今も残る天理の 昔ばなし

金龍寺の観音さま

山田町の村里離れた山奥に、梨の木谷きだにという深い深い谷があります。昔、この谷には小さなおどうがあり、山の人々の安全を守ってもらうため、観音かんのんさまがお祀りしてありました。

ある大雪の日、一人の狩人かりゅうどが ここで一匹の男鹿おじか射止いとめました。

狩人はえものを持って山をくだろうとしましたが、大雪のために道に迷ってしまいました。途方とほうにくれた狩人は、その鹿を食べ、お堂に泊まり込みました。

ところが、夜中になって急におなかが痛くなりました。大変痛く、もがき苦しんでいると観音さまが現れて、
「私のかわいがっていた鹿を殺して食べてしまったから、苦しまなければならないのじゃ!」と言われるではありませんか。

狩人は、
「もうこれからは、決して殺生せっしょうはいたしません。申し訳ないことをいたしましました。どうぞお許しください。」と観音さまにお誓(ちか)いし、ゆるしをいました。

すると、観音さまのお姿がスーと頭の上から消えて、あれほど苦しんだおなかの痛みもすっかり収まり、無事、家に帰ることができました。

こんなことがあってから、狩人はその観音さまを信仰しんこうし、朝夕お祈りするようになりました。

ある日、また観音さまがお姿を現して、
「おそろしや梨の木谷の夜ふけてこずえにさけぶ声は何鳥なんのとり」とうたわれ、私を高山たかやまへ連れていってほしいとお告げになりました。

そこで男は、観音さまを背負せおって隣村となりむら馬場ばばというところの高山へお移ししました。

そこは今の奈良市都祁つげ馬場町の高山という所で、小高い場所に金龍寺きんりゅうじというお寺があり、高さ50センチメートルに満たない小さな木彫(きぼ)りの観音菩薩かんのんぼさつがまつられています。

1300年も昔の飛鳥あすか時代に作られたものだそうで、これが、男の人に背負われて、梨の木谷から来られた観音さまだと言い伝えられています。



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