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今も残る天理の 昔ばなし

弘法大師と二度なり栗

平安時代へいあんじだいの初めの頃、空海くうかい弘法大師こうぼうだいし)というおぼうさんが諸国しょこく行脚あんぎゃしておられました。日照り続きで田んぼが干上ひあがり、百姓が困っているのを見ると溜池ためいけ水路すいろを作ったり、やまいで苦しんでいる人があれば、よく効く薬草を教えたりして、全国を歩いておられたのです。

ある時、伊勢神宮いせじんぐうへ参るため、弘法大師は櫟本いちのもとから堂ヶ谷街道どうがたにかいどう福住ふくすみへ向かって歩いていましたが、途中で日暮れが近づいてきました。

ふと見ると、山の中から子どもたちが道に出て来たので、「近くに泊めてくれる所はないか?」とたずねました。「宿ならあるよ。これからそっちへ帰るところや。」「それじゃ案内しておくれ。ところで、今頃まで何をしていたのかな?」と弘法大師が聞くと、「くりをとりに。ほら、これ。」と、子どもたちは両手りょうてにいっぱいの栗を差し出しました。

弘法大師は「ああ、よく実がなっているね。それでは、もう一度、実がなるように、おまじないをしてあげよう。」と言って、錫杖しゃくじょうで栗の木の上をなでるようにして呪文じゅもんとなえました。「ひと月ほどして、またここに来なさい。今とったところに、また栗がなっているから。」そうして弘法大師は、子どもたちといっしょに村に向かわれました。

その後、子どもたちがひと月たって行ってみると、本当にこの前とったはずの栗の木に、実がはぜ落ちそうなくらいになっていました。

これ以来いらい、このあたりには二度花をつけ、二度実のなる栗の木があるそうです。



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