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今も残る天理の 昔ばなし

「乙女の松」と「しかの足跡石」

昔、常陸ひたちの国から、春日かすがさん(=神様)が白い鹿しかに乗ってお伊勢いせまいりをされました。その帰り道のことです。

今の名張なばり付近を通り、宇陀うだ阿倍あべを過ぎ、山の辺の道へさしかかりました。乙木おとぎまで来たところで、大きな石にこしをかけ、お休みになりました。そこには大きい松の木があり、すずしい木陰こかげを作っていました。春日さんはともの白い鹿をねぎらい、冷たい石の上にのせて鹿を休ませました。

それからその石には、不思議ふしぎなことが起こるようになりました。

その頃、子どもが13歳になると、成長せいちょうを喜んで宮参みやまいりをする「十三詣じゅうさんまいり」という風習ふうしゅうがありました。十三詣りの途中、その石のそばを通りかかった子どもがふと見ると、その石に鹿の足跡あしあとがくっきりと浮かんで見えたのです。「あっ、鹿の足跡だ!」というので、連れの者が「えっ、どれ?」「どこに?」と子どもが指す石を目をこらしてみたのですが、何も見えません。でも、十三詣りの子どもには、はっきりと見えました。不思議なことがあると思いながら、白い神鹿かみしかの足跡は縁起えんぎがよいと喜ばれ、十三詣りには必ずその石に立ち寄るようになりました。

それ以後、その石は「しかの足跡石あしあといし」と呼ばれ、そばの大きな松は「乙女おとめの松」と呼ばれて、春日さんをしのび、村人に親しまれました。しかし、明治になって、しまれつつもれてしまったのです。村の人はまた赤松を植えたりしましたが、なかなか育ちにくいようで、今は石と数本の松が残っているだけだそうです。

どんな鹿の足跡なのでしょうか。13歳の子どもさんなら、見えるかもしれませんね。



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