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今も残る天理の 昔ばなし

さかさの幽霊

奈良盆地の東につらなる青垣あおがきの山なみの中に、ひときわ高くそびえる龍王山りゅうおうざんがあります。

戦国時代、この地に山城やまじろを築いた十市遠忠といちとおただは、山のふもとにある長岳寺を前衛ぜんえい陣地じんちとして城を守っていました。

その頃、十市氏と争っていた相手方の松永久秀まつながひさひでという武将が、長岳寺に攻め込んできました。寺では遠忠が迎えうち、大将同士の組み討ちになりました。

二人はともに強くて立派な武将ぶしょうですから、んずほぐれつの戦いが寺の中で繰り広げられました。

二人のわらじは血でぬれ、本堂ほんどうの床板には血で濡れたわらじの跡が残されました。

この時はどちらの大将が勝ったのか定かではありませんが、寺ではこの時の壮烈そうれつな戦いを残すために、この床板を本堂の天井のひさしに入れて保存しました。

ところがそれから、この寺の本堂に、幽霊ゆうれいが逆さになって歩いて出るという、うわさが広まりました。

「わしは、逆さまになって戦っている幽霊を見た。髪をふり乱したものすごい形相ぎょうそうやった。」
「いや、わしが見たのは、まるで死人が歩いているような幽霊じゃった。」
「わしには何も見えへんかったがなぁ。」
「それはそうじゃ。夜に、それも風の吹く日に、よく出るのじゃ!」
などと、いろいろなうわさが飛び交いました。

人々が天井の血のわらじ跡を見るたびに、多数の死者がでたであろう戦いを想像そうぞうして、亡霊ぼうれいが動いているように思ったのでしょうか。

あるいは、この世に未練みれんを残して死んでいった多くの侍たちが、成仏じょうぶつできずに本堂にさまよっているのでしょうか。

長岳寺では「さかさ幽霊」として、血のわらじ跡とともに、今もそんな話が伝わっています。



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