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今も残る天理の 昔ばなし

戦場だった永原・福智堂

永原(ながはら)(ふく)智堂(ちどう)辺りの(あぜ)の一箇所に寒中に穂を出す大変めずらしい植物があります。そこだけにしかないという不思議な植物です。冬にしか穂が出ないので「(かん)つばな」といい、(ちがや)の種類で(ほこ)に見えるような感じのつんつんとがった植物です。

昔、(とお)(いち)氏が(りゅう)王山(おうざん)に城を建てました。越智(おち)氏はこれを攻めるため北からやってきたのですが、何しろ兵の数が少なく、十市軍に威容を示すため鉾に見える草を利用して、大軍に見せかけようと、永原、福智堂の辺りにこの草を植えました。果たして「つばな」が穂を出して寒中に大軍と見えたのでしょうか。 また麦秋(ばくしゅう)六月の頃には、ここら一面の麦を焼いて、松永氏の軍を防いだとも言われています。龍王山の前衛として、この辺りは戦場だったことが、寒中に穂を出す悲しい草とともに、しのばれるのです。



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