南六条町の杵築神社境内にある観音堂には、つぎのような昔話があります。
ある大変寒い冬の日、観音講が営まれました。詠歌をあげ終えた人々が、あまり寒いので観音堂の近くで焚き火をしていると、土の中から白い蛇が出てきました。驚いた村人はその蛇を焚き火の中へほうり込みました。蛇はかわいそうに焼け死んでしまいました。
ところが、翌日も焚き火をしていると、昨日と同じように白い蛇が出てきたではありませんか。村人はまた、燃えさかる火の中にほうり込んでしまいました。死んだはずの蛇が再び出てきたので、みんなが気持ち悪く思っていると、村一番の物知りといわれる老人が、その蛇は尼さんの生まれ変わりではないかといって、つぎのような話をしてくれました。
「昔、文政年間(江戸時代)やったか、ここによく腹痛を起こす女の人がおったんや。この女の人は、病気が治るよう観音さまに祈願しながら、観音堂を建て直そうと、男装をして裸足で一戸、一戸、村中を歩き回ってはお布施を求め、米を約3反分も貯めたそうや。それを観音さまに寄進して、立派な観音堂ができたんやと。この女の人は、法隆寺にゆかりのあるえらい尼さんやということやが、その尼さんの恩義を知らずに供養せんかったんで白い蛇になって出てきたんとちがうやろか。」
それを聞いた村人は、「それは申し訳ないことをした。ねんごろに白い蛇の供養をしよう」と、石塔を刻み供養しました。
それから白い蛇は、しばらく出てこなくなりましたが、ある夜、観音様の首のまわりを数珠のように白く巻いているものがあります。よく見ると、それは白い蛇が首に3回もぐるりと巻いている姿でした。驚いた村人は、詠歌をやめて一心に般若心経を唱えました。すると蛇は観音様の頭の上へ上がり、赤い舌を出してのぞき見ていたかと思うと、するするっと姿を消してしまいました。その日はちょうど、尼さんの命日だったそうです。
その尼さんは、中宮寺の林慶法尼ではないかといわれています。旧暦8月18日に亡くなられたということで、今も9月18日には命日として営みが続けられ、石塔は観音堂の右隣に奉られています。