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今も残る天理の 昔ばなし

豊田の瘡神さん

 むかし、豊田町には、七宮四(しちみやし)(はか)と言われる七神社と四ヶ所の墓地がありました。

 現在は一ヶ所に全部まつられていますが、その中に(かさ)(がみ)神社という神社があります。

 豊田町の東の方、現在天理教三十八母屋の北側に笠神池があり、その堤防のかたわらに燈籠(とうろう)(やしろ)がまつられていました。

 むかし、子供連れのお母さんがそこを通りかかりました。たまたま、その子供に(かさ)が出来て困っていたので、土の団子を数個供えて、「どうか、この子の瘡が治りますように。」とお祈りをしました。

 すると数日たって、その子供は母親の一心の願いが通じ、きれいに瘡が治りました。それで今度は米の団子を供えて、お礼に行ったそうです。

 このことが人から人へと伝えられ、瘡の出来た子を持つお母さんは初めに土の団子を供え、治ると今度は、米の団子と小さい牛の絵馬に住所と氏名を書いて笠神神社にお参りしたそうです。それで(かさ)(かみ)神社とも言われています。



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