市内の内山というところに、昔、永久寺という大きなお寺がありました。
「西の日光」と呼ばれるほどの立派な寺院でしたが、明治時代になってさびれてしまい、今は本堂池だけが淋しく残っています。
その永久寺が華やかだった頃のことです。
永久寺の僧侶に乗馬が下手で、大変、苦労している人がいました。
「私も乗馬の稽古をしてなんとか上手にならなければ。」と、寺からお不動様を通り、布留の石上神宮まで、毎日、乗馬の訓練を兼ねて参詣し、上達を祈りました。
毎日、毎日、馬に乗り、お参りする姿を見て、周辺の人々は、「また通らはる。ややこしい馬乗りやさかいに、落馬して巻き添えにおうたら大変やで。馬の通る道には近寄らんときや、よけときや。」と言って避けていたそうです。
毎日、通る道(馬場)は決まって同じ道でした。その内、通り道(馬場)の内側を村人達が「内馬場」と呼ぶようになり、それがそのまま地名になったそうです。
内馬場という地名は、このように永久寺の僧侶が乗馬の練習をしたことが始まり、と伝えられています。