昔、ある農家によく働くひとつがいの牛がいました。
ところがある日、雄牛は働き過ぎて疲労が重なり、手当のかいもなく、死んでしまいました。
家の人はたいそうがっかりしましたが、せめて牝牛だけでも元気で働いてほしいと思い、毎日、おいしいエサを与えました。
しかし、牝牛は雄牛が死んだショックが大きかったのでしょう、日に日に元気がなくなり、食事もとらなくなりました。
雄牛を慕うその姿を見て、家の人はふびんに思い、いろいろと励まし、力をつけようとしましたがどうしても元気にならず、とうとう牝牛も死んでしまいました。
村の人々は、仲が良く、農家のためによく働いたひとつがいの牛を一緒に供養するため、雄牛のもとに牝牛を埋めてやりました。
そして、その塚に一本の椋の木を植えました。椋の木は、塚の上ですくすくと育って大きな枝を広げ、立派な木になりました。
それからは、この牛塚を農業の神とあがめ、農作物の豊作を祈るようになったということです。
南六条町の元柳生に、今も椋の大木とともに牛塚が残っています。