「あっはっはっはっは、狐が人をだますのか?」
「そうや、人をだます狐がいるんやで。」
「だまされる人がいるのとちがうかいな。」
昨夜のできごとで、近所がわいわい言っています。昨夜のできごとと言うのは、この近くで今まで見たこともない美しい娘さんが、この溝川にかかっている橋の上に立っていたということです。ほろ酔いかげんの村の若者が、いい機嫌で鼻歌を歌いながら帰ってきたのです。この美しい娘さんが、にっこり笑って若者を見つめました。若者もこの娘さんを見つめたまま、ぼーっとのぼせてしまい、目を回してしまいました。そしてやにわに声も出ず、そのうちがまんのできない高い声をはりあげました。
「よおーっ。うぉ!こりゃ最高!」と言ったとか。いいえ、叫んだようでした。そして、その娘さんの肩に手をかけようとしました。
その時、若者の声は先ほどとうって変わって、すさまじい悲鳴に変わってしまいました。
「いて!いてっ・・・て、いて、いてっ・・・て。」
しばらくして、通りがかりの人が、ばったり倒れている若者を見つけました。若者は気を失ってのびてしまっています。よく見ると、顔といわず手といわず、服はもちろんのこと、いばらのとげがいっぱい突き刺さって、死んだように倒れていました。
「こりゃ、狐さんの仕業だ。ほんまに、この若者は気の毒に。」
よく見ると、この橋の下は、溝幅いっぱいに、緩やかな流れが小さな音をたてて流れています。
また、この辺りではこんなうわさもありました。
この溝の流れに人が落ちるんだとうわさをしているのですが、誰も本当にはまった者を見た人はいません。
橋の手前では、はっきりと橋の姿が見えているのですが、人が橋を渡りかけると、すーっと橋が消えてなくなってしまうのです。
「あーっ。」
と、声を出した時は、もう遅いのです。溝川へボチャンと落ちてしまっています。だが、ふしぎなことに水に濡れた者は、誰もいないということなのです。それは夜のことでしょうが、この辺りは、昼間もほとんど気がつかないほど、静かなたたずまいです。
この近くにお堂があって、お堂の主は、ズンゴエ地蔵さんです。この狐のしわざでしょうか、ふしぎなことにこのお堂が、原因もなく一年に一回焼けてしまいます。
布留川の堤の南側に、秋の尾花が枯れていく頃、赤い炎をあげて焼け落ちるのです。ズンゴエ地蔵さんはその度に黒々とした色つやを増し、その度に近くの人々は、ていねいに磨きあげました。そして、ていねいにお祀りをしました。
お堂の焼けるのを見て、村人はいつも、こんなふしぎなことはない、悲しいことはない、もったいないことだと信仰の足りないことを反省しました。
地蔵さんにご不満があって、こんなにしてしまわれたのです。
そして、前のお堂より、ほんの少し大きめのお堂が建てられました。
お堂のすくそばに、小佐明神の使いの狐が、秋空に向いて鼻ひげを寒そうにふるわせていました。