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今も残る天理の 昔ばなし

ザクロの好きな楢の明神さん

天理市の中央を南北につらぬ上街道かみかいどうに沿って、櫟本いちのもとから北へ向かうと、大きな銅製どうせい鳥居とりいを持つ楢神社ならじんじゃがあります。

この神社の一角には、古くから鬼子母神きしもじんをまつったやしろがあり、子どもをさずけてくださる神様として、遠くからもたくさんの参詣者さんけいしゃおとずれています。

鬼子母神は、またの名を「詞梨帝母かりていも」といい、千人(万人ともいう)もの子を生みながら、他人の子どもをうばっては食べてしまうという乱暴らんぼうなことをり返す鬼神きじんでした。あるときお釈迦しゃかさまが、彼女が一番かわいがっている末子すえっこかくして、子を失う母の悲しみをさとしました。これにより仏教に帰依きえした鬼子母神は、自分の行ったことの罪ほろぼしにと、子どもに恵まれず悲しみにくれている人たちに子どもを授けて、生きる喜びを与えるようになったといわれています。

楢神社の境内けいだいには、大きな「ザクロ」の木があります。それは、ザクロの実には種子しゅしが多いので多産のシンボルであるとか、味が人間の肉と似ており、鬼子母神の好物だったからだとかいわれています。このようなことから、以前からザクロを紙に包み、水引をかけてお供えするしきたりがあるそうです。

この神社に願いをかけ、子どもを授かった人たちは、とくをいただいた喜びの表現ひょうげんのひとつとして、子どもの名前に「楢」または「奈良」の一字をもらって名付けたといわれ、子どもの守護神しゅごしんとして多くの人々にあがめられています。

また、境内にある「実益井みますい=三桝井」の井筒いづつは、江戸時代の歌舞伎役者かぶきやくしゃ、八代目 市川團十郎いちかわだんじゅうろう奉納ほうのうしたもので、前面にはます三つ重ねの紋章もんしょうきざみ、他の一面には「ならの葉の広き恵みの神ぞとはこの実益井をくみてこそ知れ の歌が刻まれています。この井戸水は、子どもを授かる霊水れいすいともいわれています。



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