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とよださんじょうあと豊田山城跡
地元の豪族、豊田氏の居城跡
室町時代中期、大和では越智(おち)党と筒井党の二大勢力がぶつかりあっていました。
豊田氏は興福寺の衆徒(しゅと)として布留郷に勢力を張っていた豪族で、豊田頼英の時代に越智党に属し、近郷に勢力を伸ばします。
その居城が豊田山城です。標高180mの丘陵上にあり、現在でも4ヶ所の郭(くるわ)と土塁、空堀(からぼり)の跡などが残っています。郭の最も高いところには本丸がありました。郭群を取り囲む空堀は、南側で二重になっており、城の拡張が進められていたようです。
整備などはされておらず、夏場は歩くのも困難ですが、遺存状態は良く、規模は小さいものの貴重な城跡といえます。
『大乗院寺社雑事記』の明応7(西暦1498)年に「豊田本城煙立」、その翌年に「夜前豊田城辺焼亡了」とあり、この頃に落城したようです。
ルート
石上神宮から山の辺の道(北)ルートを北へ進み、豊井の集落を抜けると山裾に入ります。この辺りから東の山へ登ると、室町時代の山城である豊田山城跡にたどり着きます。
周りの環境
春日断層崖から西へ伸びる丘陵の一つに位置します。現在、周囲は杉林となっています。
ポイント
麓に当たる近辺の発掘調査で、二重の濠に囲まれた一辺約50mの居館跡が二ヶ所見つかっています。
どちらも遺物の年代から豊田氏の居館と考えられています。平素はこの館に住み、いざという時に山城に入ったものと考えられています。
アクセスデータ
エリア | 山の辺の道(北)コース |
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所在地 | 豊田町 |
入館料 | |
駐車場 | なし |
休憩所 | なし |
トイレ | なし |
問合先 | |
WEB |