三島(みしま)
三島明神をまつったから三島といったのか、布留川が分流して下流に中島ができたように島になっていたものか、明らかでありません。今の天理教本部のある地は三島に合併されましたが、もとは庄屋敷村といい、庄屋のいた屋敷が村名になった所であり、天理市の名の起こるもとの縁の地です。小字では蔵之庄に庄屋垣内があり、正郡(小島)庄の坪(長柄)庄中(木堂)しょうのうち(西井戸堂)しょう並(柳本)正の前(中山)荘の前(柳本)などは、みな荘官または庄屋関係の地名です。
三島明神をまつったから三島といったのか、布留川が分流して下流に中島ができたように島になっていたものか、明らかでありません。今の天理教本部のある地は三島に合併されましたが、もとは庄屋敷村といい、庄屋のいた屋敷が村名になった所であり、天理市の名の起こるもとの縁の地です。小字では蔵之庄に庄屋垣内があり、正郡(小島)庄の坪(長柄)庄中(木堂)しょうのうち(西井戸堂)しょう並(柳本)正の前(中山)荘の前(柳本)などは、みな荘官または庄屋関係の地名です。