丹波市(たんばいち)
興福寺資財帳に丹波庄の名が見られます。なぜ丹波といったのかは詳かではありませんが、古代の氏族に関係があるのではと考えています。大和郡山市に美濃庄があり、丹後庄があり、和爾と櫟本には丹後という小字があるので、中世の領主関係を併せて考えていきたいです。ここが中世末になって上街道に沿った市場として発達して丹波市となりました。丹波の国から戎さんを歓請(かんじょう)して市を開いたから丹波市というと一般にいわれていますが、丹波の名は延久以前にさかのぼります。
興福寺資財帳に丹波庄の名が見られます。なぜ丹波といったのかは詳かではありませんが、古代の氏族に関係があるのではと考えています。大和郡山市に美濃庄があり、丹後庄があり、和爾と櫟本には丹後という小字があるので、中世の領主関係を併せて考えていきたいです。ここが中世末になって上街道に沿った市場として発達して丹波市となりました。丹波の国から戎さんを歓請(かんじょう)して市を開いたから丹波市というと一般にいわれていますが、丹波の名は延久以前にさかのぼります。