豊田(とよだ)
古代は北川村ともいったようです。延久2年(1070)の興福寺資財帳ではこの辺りは田倍東庄の内でしたが、その中にできた集落が豊田です。豊の嘉字を用いて豊田としたのでしょう。同書には檜垣本庄の名が見え、豊田から豊井の辺りであったものが、今もこの辺りの地名として残っています。
古代は北川村ともいったようです。延久2年(1070)の興福寺資財帳ではこの辺りは田倍東庄の内でしたが、その中にできた集落が豊田です。豊の嘉字を用いて豊田としたのでしょう。同書には檜垣本庄の名が見え、豊田から豊井の辺りであったものが、今もこの辺りの地名として残っています。