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オオヤマト古墳群
初期大和王権の奥津城(墓域)
奈良盆地東南部は古来から「倭(やまと)」、「大和(おおやまと)」と呼ばれている地域で、大和王権はここで誕生しました。
それを裏付けるように、天理市南部から桜井市北部の山裾には古墳時代初頭から前期の前方後円墳や前方後方墳などが約40基あります。
現在、これらの古墳は「オオヤマト古墳群」と呼ばれ、佐保庄町から桜井市三輪町にかけての地域、南北約4.5㎞に点在しています。
オオヤマト古墳群と一つの名称で呼ばれる古墳群ですが、立地する丘陵や地域によって、北から大和(おおやまと)古墳群、柳本(やなぎもと)古墳群、纒向(まきむく)古墳群の3つに分かれています。
各古墳群には以下の古墳が所在しています。
・大和古墳群-馬口山古墳、西殿塚古墳(衾田陵)、東殿塚古墳、中山大塚古墳・下池山古墳など
・柳本古墳群-黒塚古墳、行燈山古墳(崇神天皇陵)・櫛山古墳、天神山古墳・渋谷向山古墳(景行天皇陵)など
・纒向古墳群-ホケノ山古墳、箸墓古墳、勝山古墳、石塚古墳、矢塚古墳・東田(ひがいだ)大塚古墳など
これらの古墳群の中で最も古い古墳が集まっているのは、纒向古墳群です。纒向遺跡で始まった大和王権の初期の大王クラスが葬られた古墳と考えられています。ホケノ山古墳、勝山古墳、石塚古墳、矢塚古墳、東田(ひがいだ)大塚古墳そして、卑弥呼の墓かとされる箸墓が続きます。
とは言え、大和、柳本古墳群に所在する馬口山古墳、黒塚古墳、西殿塚古墳、中山大塚古墳、下池山古墳なども古く、纒向古墳群に葬られた次の世代が多く含まれています。発掘調査をすればさらに増える可能性があります。
このように盆地東南部で造られた大王クラスの古墳は、その後、盆地北部(佐紀)、さらに大阪の東部(古市)や南部(百舌鳥)へと移り、古墳時代後期には再び奈良へ戻り、明日香近辺で造られるようになります。
王権誕生以降、この地域が再び権力の中心となることはありませんでしたが、盆地を見渡せる大和古墳群を訪ねると、国家形成へと突き進んだ人々のエネルギーや躍動を今でも感じられます。