ホーム ホーム  >  観光スポット >  中部エリア > 西乗鞍古墳

ここが見どころ 観光スポット

にしのりくらこふん

西乗鞍古墳

南西から見た古墳
西北西から見た古墳
後円部に建つ石碑

昭和天皇統監の場所

 杣之内古墳群の一つです。同じ丘陵の東約150mには東乗鞍古墳が、北西約100mには小墓古墳があります。
 古墳には周濠と外堤が巡り、外堤の東側と南側には丘陵から切り離すように幅30m程の掘割が巡っています。
 規模は全長約118m、後円部の直径約66m、前方部幅約88m、後円部の高さ約15.5m、前方部の高さ約16mを測り、前方部が南側、後円部は北側に位置します。墳丘は二段築成で、埋葬施設は横穴式石室と見られますが詳細は不明です。
 築造の年代は、出土した埴輪や土器から古墳時代中期末(5世紀末)とみられます。この時期の古墳としては、大王に次ぐ規模の大きさです。
 前期末の西山古墳以降、西乗鞍古墳までこの地域では古墳が造られていません。その間、布留遺跡では活発な活動が見られるのですが、その首長を葬った古墳が近辺に無いことは不思議なことです。当時の首長は王権内でも重要な位置を占めていたとみられることから、大阪の古市古墳群や百舌鳥古墳群で大王墓の近くに葬られたと考えるのが妥当でしょう。
 平成30年、国の史跡に指定されています。

参考文献:奈良県立橿原考古学研究所編 2001 「大和前方後円墳集成」

ルート

杣之内町から延びる片側一車線の道路を南へ進むと、信号のある交差点にさしかかります。左へ曲がると「なら歴史芸術文化村」に至りますが、この交差点を南へ約300m行くと、三叉路となります。この三叉路の南東側に西乗鞍古墳は所在します。

周りの環境

春日断層崖から西に延びる丘陵上に立地しています。古墳のすぐ西側を道路が通り、それより先は水田となっています。
南隣には、日本一に何度も輝く天理大学ホッケー部のホームグラウンド、親里ホッケー場があります。

ポイント

昭和7年、大阪平野と奈良盆地で陸軍大演習が行われた際、墳頂部に統監所が設けられ、昭和天皇が全軍の動きを統監しました。
天気の良い日は盆地を見渡すことができ、春には桜が見事に咲き誇り、毎年、花見の人で賑わいます。

アクセスデータ

エリア山の辺の道(南)コース      
所在地杣之内町
入館料
駐車場  
休憩所  
トイレ  
問合先
WEB
ページの先頭へ