山の辺の道(南)コース
訪れる人をいにしえの時代にいざなう路
奈良盆地の東に連なる美しい青垣の山裾を縫うように続く「山の辺の道」。
沿道には今も、記紀・万葉集ゆかりの地名や伝説が残り、神さびた社や古寺、古墳などが次々に現れて、訪れるひとを古代ロマンの世界へといざないます。
中でも、石上神宮から大神神社までは、二上山や青垣の山々を眺めながら神話と伝説の世界に浸れる、山の辺の道のハイライトコースです。
コース紹介
山の辺の道は奈良と桜井を結ぶ古道で、山裾に沿うように続きます。
年間を通して最も人が訪れるルートで、天理駅から東の石上神宮へ進み、南の桜井方面へと歩きます。
途中、竹之内や萱生の環濠集落、たくさんの古墳、大神神社、宮跡などがあり、古代国家誕生の息吹や万葉のロマンが感じられるコースでもあります。
区間 | 距離 | 所要時間 |
天理駅〜JR柳本駅 | 約8.8km | 2時間45分 |
天理駅〜JR三輪駅 | 約13.8km | 3時間55分 |
天理駅〜桜井駅 | 約16km | 4時間50分 |
発見コラム
謎の3世紀 邪馬台国はどこに?
畿内か九州か。
今もその所在地をめぐって論争が続く邪馬台国(やまたいこく)だが、天理市と桜井市にまたがる三輪山麓の一帯は、畿内説の中でも最も有力な候補地の一つです。
ここには、箸墓(はしはか)、崇神(すじん)・景行(けいこう)両天皇陵に代表される巨大な前方後円墳をはじめ、古墳発生期の謎を秘めた初期・前期の古墳が集中しています。その中の一つ、黒塚古墳の発掘調査では石室から、卑弥呼(ひみこ)の鏡と呼ばれる「三角縁神獣鏡(さんかくぶちしんじゅうきょう)」が33面も出土しました。
隣接する纒向遺跡では、神殿風の建物跡や精巧な給水施設などが検出され、さらに全国から運ばれた多数の土器も出土し、古墳時代初頭の大都市だったことがわかってきました。
これは3世紀末、すでにこの一帯に全国的な交易圏と強大な権力をもつ古代政権が成立していたことを物語っています。
女王卑弥呼の墓の可能性が高いとされる「箸墓」。昼は人が造り、夜は神が造ったと「日本書紀」には記されていますが、最近の発掘調査によって、3世紀末頃に築造されたものとされました。
この時期は、卑弥呼の後継者、壱与(いよ)の時代にあたります。
邪馬台国はどこに?結論は今後の研究成果を待たなければなりませんが、いずれにせよこの地域が、古墳の発生と古代ヤマト王権誕生の地、いいかえれば統一国家形成の初現に深くかかわっていることは確かです。弥生時代と古墳時代をつなぐ「謎の3世紀」。その研究が黒塚古墳の調査成果により、大きく前進し、謎が解明される日もそう遠くないかもしれません。