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そまのうちかそうぼ杣之内火葬墓
左大臣・石上麻呂を葬ったと推定される墓
検出された墓は奈良時代(8世紀)の火葬墓で、墓域は復元すると直径約11mの半円形となります。中央に一辺1.3mの方形の墓壙を掘り、周りを炭で充填された木櫃(きびつ)が納められていました。木櫃の中には火葬骨と銀製のかんざしが収められ、墓壙の壁際で海獣葡萄鏡が一面見つかっています。当時としては大変高貴な人の墓です。
2022年、火葬骨の年代測定が行われ、770年までの確率が90%との結果が出ました。奈良時代に中央官僚として左大臣を務め714年に没した石上麻呂、750年没の石上乙麻呂、781年没の石上宅嗣が被葬者として浮上していましたが、この結果から宅嗣は候補から外れそうです。麻呂か乙麻呂のどちらかが考えられますが、副葬品や薄葬令の影響などから考えると麻呂の可能性が高くなってきました。
ルート
杣之内町から南へ延びる片側一車線の道路を進むと、左へ曲がると「なら歴史芸術文化村」へ至る交差点にさしかかります。この交差点からさらに南へ約300m行くと、左(東側)に別れる三叉路が見えてきます。三叉路の南東には西乗鞍古墳が所在します。三叉路を東へ曲がり、約400m行くと親里競技場の入口が右手に見えてきます。この中に杣之内火葬墓はあります。
周りの環境
競技場には野球場とラグビー場があり、西側は幾坂池で周囲は丘陵になっています。野球場は天理高校野球部の練習場となっていて、毎日、元気な掛け声が聞こえてきます。ラグビー場は野球場の北側にあり、火葬墓はこのラグビー場の北斜面に所在します。
元々、火葬墓は丘陵上にありましたが、発掘終了後、周囲がラグビー場の北斜面として削られたため、一見すると小さな山のようになっています。
ポイント
現在、周囲は競技場として管理されているため、自由に見学はできませんが、見学可能な日もあります。見学を希望される方は、管理人の方にお願いしてみましょう。
また、海獣葡萄鏡を拡大したレプリカが、天理駅前の広場に展示されています。機会があれば是非、ご覧下さい。
アクセスデータ
エリア | 山の辺の道(南)コース |
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所在地 | 園原町 |
入館料 | |
駐車場 | あり |
休憩所 | あり |
トイレ | あり |
問合先 | |
WEB |