ここが見どころ 観光スポット
うたづか歌塚
柿本人麻呂の遺髪を葬る塚
櫟本町は、柿本人麻呂の生地と伝えられ、和爾下神社の西側に歌聖ゆかりの地として、歌塚が建てられています。
任地の石見国で死んだ人麻呂の遺髪を、後の妻である「依羅娘女(よさみのおとめ)」が持ち帰り、葬ったものと伝えられています。
人麻呂崇敬が盛んになるにつれ、歌塚として有名になりました。
現在の碑は享保17(1732)年に柿本寺の僧や森本宗範によって建てられたもので、表面の文字は後西天皇(1655~1663年在位)の皇女、宝鏡尼の筆によります。
『藤原清輔家集』(藤原清輔は平安時代後期の歌人)には「大和国石上柿本寺という所の前に人磨呂の塚ありと聞きて卒都婆(そとば)に柿本人丸の塚としるしつけて傍にこの歌をなん書けり 世を経てもあふべかりける契こそ苔の下にもくちせざりけれ 」と清輔が歌塚を訪れた時のことが紹介されています。
ルート
JR櫟本駅から東へ向かい、上街道との交差点(点滅信号のある交差点)を右(南側)へ進むと、東西に流れる高瀬川に至ります。ここで川に沿って左(東側)へ曲がると、国道169号線沿いに建つ和爾下神社の鳥居にたどり着きます。鳥居をくぐり参道を約250m進むと、歌塚が左側に見えてきます。
周りの環境
歌塚の東側には和爾下神社古墳の上に建つ和爾下神社社殿が、北側には柿本寺(しほんじ)跡があります。また、その手前には、日本書紀に登場する影姫の悲恋を紹介する石碑も建っています。
ポイント
歌塚には石碑の他に、石像など後世に寄進されたものが置かれ、賑やかさを増しています。また、南側の広場では地域の人がゲートボールを楽しんでいます。
アクセスデータ
エリア | はにわの里コース |
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所在地 | 櫟本町 |
入館料 | |
駐車場 | なし |
休憩所 | あり |
トイレ | あり |
問合先 | |
WEB |