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わにしたじんじゃ和爾下神社
櫟本地域の鎮守で前方後円墳の上に建つ神社
「延喜式」にみえる古い神社です。もとは「和爾部」と「櫟井臣」の祖神とされる孝昭天皇の皇子・天足彦国押人命(あまたちしひこくにのおしひと)と日本(やまと)帯彦国押人命が祀られていたそうですが、現在は本社大己貴命(一名大国主命)、素盞鳴命(すさのおのみこと)、稲田姫命が祀られています。
古墳が治道山と呼ばれていたところから、治道社(春道社)や牛頭天王社、さらに西隣に建てられた柿本寺との関係で柿本上宮とも呼ばれていました。しかし、明治初年に延喜式内の和爾下神社に当るとの考証から、和爾下神社と定められ、今日に至っています。
【よもやま話】
和爾下神社は櫟本の東の和爾下神社古墳(昔は治道の杜と呼ばれていました)の上に鎮座しています。国道169号線の櫟本交差点から東が参道で、街中を流れる高瀬川の北側に沿うよう続いています。
『東大寺要録』には、神護景雲3年(769)、東大寺領の櫟庄に水を引くために、高瀬川の水路を今の参道に沿って移し、道も改修したとあり、和爾下神社の参道が登場しています。
寿永2(1183)年、藤原清輔の弟、顕昭(けんしょう)が著わした『柿本朝臣勘文』には、「清輔が語っていうに、大和国へ下向した時、古老から聞いたが、添上郡石上村の傍らに社があり、春道社という。その中に寺があって柿本寺といい、人丸の堂である。その前の田の中に小塚があって人丸墓という。」と記されています。
このことからこの頃、旧石上村の付近に治道(はるみち)の森があり、治道社(春道社)と柿本寺があったこと、近くの田に柿本人麿の塚があったことなどがわかります。
ルート
JR櫟本駅から東へ進み、国道169号線を渡って右(南側)へ曲がります。約200m歩くと和爾下神社の赤い鳥居が見えてきます。鳥居の先、約250mで神社へ登る参道が左手に見えてきます。
周りの環境
和爾下神社は古墳(古墳時代前期)の上に所在します。
この地域では古い前方後円墳で、鬱蒼とした森に包まれた、静かな場所です。
ポイント
本殿は、桁行三間、梁間二間、一重、切妻造、向拝一間、檜皮葺で桃山時代の様式をそなえ、国の重要文化財に指定されています。
他に末社として12社が祀られています。
毎年、7月14日に祇園祭、10月第2日曜日には秋祭りが行われ、屋台などで賑わいます。
アクセスデータ
エリア | はにわの里コース |
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所在地 | 櫟本町治道山字宮山 |
入館料 | |
駐車場 | なし |
休憩所 | なし |
トイレ | なし |
問合先 | |
WEB |