ホーム ホーム  >  観光スポット >  古道 > 山の辺の道

ここが見どころ 観光スポット

やまのべのみち

山の辺の道

大和神社御旅所の南側
道沿いの標識とコスモス
一部、石敷きのところも
民家の前に置かれた椅子(長岳寺西側)

文献に見える日本最古の道

 『古事記』・『日本書紀』に「山の辺の道」と記される古い道です。
 本来は、盆地東辺に沿う道として、縄文時代や弥生時代から利用されていたものが、桜井市の纒向に大和王権が誕生したことで重要性が増し、「山の辺の道」と呼ばれるようになったものと思われます。
 『古事記』には、崇神天皇陵(別名、山辺道勾岡上陵)の所在地を示す文章として「御陵は山辺の道のまがりの岡の上にあり」とあり、山の辺の道の名が見えます。また、「景行記」には景行天皇陵(別名、山辺道上陵)の所在地を「御陵は山辺の道上にあり」と書かれており、ここでも山の辺の道の名を見ることができます。
 二つの文章からは、両陵墓の下(西側の低い所)あたりを山の辺の道が通っていたこと、そしてこの頃すでに「山の辺の道」と呼ばれていたことが判ります。
 『日本書紀』の影媛の歌には、石上から奈良までの道順として、布留・高橋・大宅・春日・佐保の地名が記されています。石上神宮から桜井までは、乙木・竹之内・萱生・中山の集落を過ぎ、柳本の上長岡、桜井市の穴師、車谷付近を経て大神神社へ至り、磐余へと続いていたと思われます。
 石上神宮に七支刀が収められ、布留の地に大和王権の武器庫が置かれた古墳時代、山の辺の道はさらに重要な道となったことでしょう。

ルート

当時の詳しいルートは不明ですが、春日断層崖から西に延びる丘陵の裾を、南北に延びる道だったと考えられています。
現在は東海自然歩道の内、奈良市から桜井市までのルートが山の辺の道として案内、整備されています。
当観光協会では、石上神宮を起点に北の奈良へ延びるルートを「山の辺の道(北)ルート」、南の桜井へ延びるルートを「山の辺の道(南)ルート」として呼び分けています。

周りの環境

山の辺の道(南)ルート沿いには石上神宮、大和神社(現在は別の場所に移転)、大神神社、長岳寺などの古社寺や初期の大和王権に関わる古い古墳が所在しています。
現在は水田、柿やみかんなどの果樹園、イチゴのビニールハウスなどが広がり、のどかな場所ですが、大和王権成立時のいにしえを想いながら、歩くのもひとつです。

ポイント

後に山の辺の道は上ッ道に引き継がれ、その役目を終えますが、現在は、ハイキングコースとして整備され、訪れる人に往時の雰囲気を伝えています。

アクセスデータ

エリア山の辺の道(北)コース 山の辺の道(南)コース   
所在地奈良盆地東麓
入館料
駐車場あり 石上神宮、長岳寺、天理市トレイルセンター
休憩所あり 各所
トイレあり 各所
問合先
WEB
ページの先頭へ