龍王山歴史と健康の道コース
戦国武将の山城跡へ登る路
3つのルートからチャレンジできます。
天理ダムルートは頂上までなだらかで、最も楽なルートです。
崇神ルートは古墳時代後期の古墳がたくさん集まった龍王山古墳群を通ります。途中までは楽ですが、最後は傾斜のややきつい階段が続きます。
最後の長岳寺ルートは尾根筋を進みます。谷筋状や傾斜の急なところもありますが、もっとも多くの人が利用するルートとなっています。
コース紹介
龍王山へは3つのハイキングルートから登ることができます。天理ダムからのどかな林道をゆくダムルート。崇神天皇陵から龍王山古墳群の中をぬけてゆく崇神ルート。長岳寺の横から尾根道をたどり、奥の院を抜けていく長岳寺ルート。どのルートを組み合わせても、変化にとんだコースを楽しむことができます。
南城跡のある山頂からの眺めはすばらしく、大和三山を含む奈良盆地を一望することができます。また、条件が整えば大阪湾はもちろん、さらに遠く明石海峡大橋までをも望むことができます。
区間 | 距離 | 所要時間 |
天理ダムバス停~南城跡(龍王山山頂) | 5.3km | 1時間30分 |
上長岡バス停~(長岳寺ルート)~南城跡(龍王山山頂) | 4km | 1時間35分 |
上長岡バス停~(崇神陵ルート)~南城跡(龍王山山頂) | 5.5km | 1時間45分 |
地域の行事
ジャンジャン火伝説
龍王山城を築いた十市(といち)氏は、室町・戦国時代を通じて大和で活躍した豪族でした。天文年間(1532~1555)、遠忠(とおただ)の時代にもっとも勢力を伸ばし、龍王山城はこの時期の完成と見られています。しかし隆盛は永く続かず、次の遠勝(とおかつ)の代には大和に進出した松永弾正(まつながだんじょう)久秀に攻められ、永禄11年(1568)ついに龍王山城は松永方の手に落ちてしまいました。
実際には華々しい戦闘もなく開城したのですが、地元には落城にまつわる悲話がいくつか伝えられ、そのひとつにジャンジャン火伝説があります。
話の要約は、
今にも雨が降りそうな夏の夜、龍王山にむかって「ホイホイ」と叫ぶと、城跡の方から火の玉がジャンジャンとうなりをたてて降りてきて、その人を焼き殺しでしまうとか…。
戦に敗れた十市氏の恨みが、今も残っているのかもしれません。
田井庄(たいのしょう)町には、ジャンジャン火に襲われた武士が誤って斬ったと伝えられる首斬地蔵が残っています。